ダリブロ 安田理央Blog

フリーライター安田理央のBlogです。

続おやじびでお 第18話 パソコン通信時代のアダルト事情

 今やアダルトメディアの中でも、最もポピュラーなものとなっているのがインターネットですが、日本で個人が使用できるようになったのが1994年。一般的に広まったのは2000年以降という感じでしょうか。
 しかし、インターネット以前にもネットは存在していました。それがパソコン通信です。電話回線を使ってデータをやりとりするという意味ではインターネットと同じですが、もっと閉じたネットワークで、基本的には会員しかアクセスできません。また回線も遅かったので、文字情報が中心でした。

 パソコン通信は85年にアスキーネット、87年にニフティ・サーブがサービスを開始。草の根BBSと言われる個人運営のサービスも増えていき、パソコンに強いマニア中心に、少しずつ持ち上がって行きました。
 筆者がパソコン通信を始めたのは93年。当時、初めてのパソコンであるマッキントッシュLC520*1を購入したのもパソコン通信がやりたいというのが最大の目的でした。
 その時に参考にしたのが、当時SMスナイパー誌に館淳一*2が連載していた「パソコン通信SM術」。いち早くパソコン通信に精通していた館氏がSMスナイパーの読者向けに解説したコラムです。そのため、筆者がまず最初にアクセスしたのは、ニフティなどの大手サービスではなく、「Cafe25」というSM専門の草の根BBSでした。

*1:1993年にアップルから発売された13インチモニター一体型。CD-ROMドライブ内蔵でマルチメディア志向と言われた。CPUは25MHz、ハードディスクは160MB。当時25万円くらい。ちなみに当時の回線速度は2400bps。現在筆者の光フレッツ環境と比べると、なんと約3万分の一のスピード?!

*2:1975年デビューのベテランSM作家。「パソコン通信SM術」をきっかけに筆者は館氏と知り合い、連載にも登場することに。

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続おやじびでお 第17話 通販ビデオのマニアックな世界

 現在、AVはセル(販売用)が中心となっていますが、ほんの10年ほど前まではAVは基本的にレンタルで、セルはインディーズと呼ばれ、あくまでもマニアックなものという扱いでした。
 そして、さらにその前には通販ビデオと呼ばれた、本当にマニアックなAVが密かな人気を集めていたのです。

 もともとAVが誕生した80年代初頭には、まだレンタルショップ*1がなく、AVは販売専門でした。もちろんVHSとベータ。一本が30分収録で一万二千円から二万円という、今では考えられないような価格でした。よっぽど好きな人じゃないとAVは見られない、そんな時代だったのです。そのためか、SMモノなどマニアックで暗い内容の作品が目立っていました。

 そして80年代半ばになると、レンタルショップも一般的になり、AVは借りて見るものになっていきます。それでもレンタル料金は一泊二日で定価の一割、つまり千二百円以上と、かなり高価ではありましたが…。
 ともあれ、レンタル時代になり、誰もが手軽にAVが見られるようになると、その内容も一般向けになっていきます。若くて可愛い女の子が普通のセックスをする。そんな作品が中心になっていきました。AVアイドルと呼ばれる女の子も登場し、テレビ番組に出演するなど、AVはどんどんメジャーな存在になっていきます。

 しかし「AVって、そんなもんじゃないだろ! もっと淫靡なもんだろ!」と思った人がいたのかどうか。この頃にブラックパックと呼ばれる販売用AVが登場します。ブラックパックについてはこの連載の第10話で紹介しましたが、ま、犯罪スレスレのハードなSMプレイや露出度を競うような過激な内容のビデオでした。
 ブラックパックのブームは3年ほどで終焉を迎えるのですが、時を同じくして、よりマニア向けのAVが蠢き出していました。それが通販ビデオです。
 文字通り、マニアがマニアのために作ったマニアックなAVです。本格的な緊縛やキャットファイトといった普通のセックスでは興奮できないマニアのためのプレイを撮影したもので、マニア誌の広告などで、通信販売をしていたのでした。
 こうしたマニア向けの通販ビデオを取り扱い、その筋では聖地と呼ばれたのが1985年にオープンした高田馬場の「タイヨー」*2です。通販じゃないと手に入らないマニアビデオが、ここでは店頭で購入できるということで、喜んだ人は多かったようです。自宅にマニアックなビデオが郵送されるというのは、家族がいる人にはリスクが大きいですからね。
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2012年の閉店当日の高田馬場タイヨー。

 こうして90年代前半に通販ビデオは盛り上がりを見せていきます。佐藤義明監督による「SMマニア撮り」シリーズ(ジュリアン)*3や脚フェチ向けの「天下一品」シリーズ(TF-CLUB)*4、そしてノンヌードの本格ボンデージにこだわる「エキゾチックボンデージ」(小原譲プロダクション)*5など、セックスが全く登場しない作品が人気を集めていました。
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小原譲プロダクションの「ボンデージブロッサム」

 中でも異彩を放っていたのが、松下一夫監督による「美少女スパイ拷問」シリーズ(松下プロ)*6。アニメ「ルパン三世」第一話の峰不二子が機械にくすぐり責めされるシーンに衝撃を受けたという松下氏が、大の字に拘束された女の子をひたすらくすぐるというもの。かなり大量の作品がリリースされていましたが、どれも捕らえられた女スパイが拷問を受けるという設定で、松下氏本人による責めや尋問のセリフもほとんど同じ。ワンパターンの美学というか、マニアにとってはそれでいいんでしょう。ちなみに、くすぐり以外にも電動マッサージ器で何度もイカせるという責めも定番で、これが現在に続くイカセ物の元祖かもしれないですね。そういえばイカセ物の名門メーカー、ベイビーエンターテイメントの社長も、松下氏の作品に影響を受けたなんて言ってましたっけ。
 この他にもラッシャーみよし監督による超フェチメーカーのハウスギルドや、のちにフェチの総本山となるアロマ企画もこの頃に誕生していますね。
 ゴールドマン監督もストロベリー社名義で着衣ボンデージのインディーズ作品を量産していました。
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ストロベリー社の「GAL'S GAG」

 また、同時期に盛り上がりを見せていたブルセラビデオも、ショップが自分たちで撮影して販売していたという意味では、同じ流れにあるといってもいいでしょう。
 AV史的に言うと、この後にビデオ安売王によってセルビデオが一気に広がり、インディーズビデオブームへとつながっていくわけですが、一般的な広がりを見せていくにつれて、かつてのレンタルAVと同じようにマニア色は薄れていっちゃうのですね。レンタルAVと完全に立場逆転した今では、セルビデオがマニアックという図式は全く意味がないものになりました。フェチの代名詞だったアロマ企画も、普通の痴女メーカーみたいになっちゃってますしねぇ…。

 しかし、やっぱりマニア向けの自主制作AVというのは生き続けているのですね。秋葉原のSM専門店のサンショップ*7あたりに行くと、普通のAVショップでは見たことがないようなマニアックなAVがいっぱい。真空パックでの窒息プレイが売りのココアソフトや、着衣のままで縛られた女がジタバタしているだけのDID企画、針で刺しまくる苦痛系のスクラムなど。ああ、こういう世界は不滅なんだなぁと、何だか嬉しくなります。
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ふぇち工房の「靴汚し」。ひたすら泥にまみれた靴の映像が……。

 しかし店長に話を聴いてみると、こうしたマニアックな作品は、DVDではなく配信の方が主流になりつつあるとか。前述のココアソフトも、現在は店舗での販売を中止しているみたいですしね。レンタル全盛時代に、一足先にセルをやっていたように、マニア系の方が時代を先取りしてるようです。

TENGU(ジーオーティー)2011年8月号掲載。手作り感溢れる通販ビデオのいかがわしいムード、好きでした。僕も制作を手伝っている小林電人監督も初期は手作り感溢れる作品を作ってましたねぇ。

*1:ビデオソフトのレンタルが始まったのは1982年。84年頃から本格化し、89年には全国で一万五千店以上に増加。しかしそれをピークとして、バブル崩壊の影響などから、以降は減少。

*2:ミリオン出版ワイレア出版などを擁する大洋グループ直営のアダルト本やAVの専門店。2012年に閉店。

*3:カメラが固定で撮りっぱなしだったりと素人っぽい作りが生々しかった。スカトロプレイが多いのも特色。

*4:もともとは東京覆面倶楽部という制作集団が母体。実は初期には筆者も関わっていた。現在もパンストを中心としたフェチ系作品を販売している。

*5:アーヴィング・クロウに影響を受けた着衣緊縛にこだわった作品を撮り続けている。どことなくエキゾチックなムードが魅力的。最近は下着への興味が強い。

*6:今なおくすぐり作品を撮り続けているくすぐり界の巨匠。オフィシャルサイトを見ると、かなり広範囲な活動をしている模様。

*7:SMAV専門店。店内ではイベントやAVの撮影が行われることもある。

続おやじびでお 第16話 歌うAV女優たち

 恵比寿マスカッツが絶好調であります。CDもかなり売れてるみたいですし、一般コミック誌の表紙なんかも飾ったりして、彼女たちがAV女優だとは知らない*1若いコも多いという話も聞くようになりました。飯島愛を除けば、AV女優がメジャーな音楽シーンで成功した初めての例と言えそうです。

 AV女優の音楽活動はAV黎明期の80年代から活発でした。その第一号と言えるのが1986年にシングル「サンセット・ハイウェイ」をリリースした美光水(レイクス)です。杉原光輪子、森田水絵、山口美和によるグループでした。
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美光水「サンセット・ハイウェイ」

その後も、早川愛美や秋元ともみ、かわいさとみと言った宇宙少女や、初代AVクイーン・小林ひとみ、斉藤唯・冴島奈緒・葉山みどりによるRacco組*2なども次々とレコードデビューを飾っていきました。
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秋元ともみ「少女神話」

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Racco組「レモンのキッス」

*1:一般誌などではセクシー女優という表記になっている。まぁ、メンバーの中にはグラビアアイドルもいるし。

*2:トラブルなどで、半年後には斉藤唯、森村あすか、星川メグにメンバーチェンジした。ロック志向の冴島奈緒はアイドルぶるのがイヤで逃げ出したらしい。

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続おやじびでお 第15話 SMがAVの主流だった時代

 前回はSMモノを中心とした官能小説について書いたので、今回はSMのAVで行ってみましょうか。
 日本最初のSMモノだと思われる作品は82年の1月にVIPエンタープライズ(後のVIP)が発売した「48時間の裸体」「死虐の宴」です。この2作品はVIPの第一回発売作品でもあります。ブラックパックの回でも少し書きましたが、AVの黎明期ではSMは主要ジャンルであり、このVIPや宇宙企画、SAMM(現hmp)といった後に美少女AVで有名になるメーカーも、設立当初はみんなSMモノを手かげていたのです。まぁ、VIPの前身はスカトロビニ本で名を馳せた群雄社、SAMMの前身は六本木のSMクラブだったので、当然と言えば当然の流れではあるのですが。

 黎明期にSMモノが多かった理由として、SMならセックスシーンが無くても成立するというメリットもあったのです。当時のAVでは修正をするのも大変だったためアングルで隠すという映画的な手法が主流でした。セックスしてるのに下半身を全く映さないなんて作品もあったほどです。
 その点、SMでは雑誌グラビアなどのノウハウがあり、縄や剃毛用のシェービングクリームなどで股間を隠すという手法が使えますし、本番シーンが無くても成り立つので、男の性器も登場させなくて済むわけです。

 この82年にはSMの名門メーカー、アートビデオも第一作となる「地下室の淫魔」を発売しています。社長であり看板監督でもある峰一也*1は、当時はSM写真のカメラマンで、家庭用に買ったビデオカメラ一台で撮影したといいます。この頃は、編集も出来ないため、頭から順に撮っていったそうです。失敗は許されない、まさに一発勝負の撮影です。
 こうして制作された初期の作品は通販のみで販売。SM雑誌に広告を載せただけなのに、毎日たくさんの現金書留が届いたというから、今から考えるとなんとも羨ましい時代です。だって当時は一本1万5千円もしたんですよ。
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初期のアートビデオ作品「こずえのマゾレポート」

*1:90年以降は女性をひたすらイカせるという路線に。通称ミスター・ミネック。

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「安田理央のよくわかる日本アダルトメディア史」店頭販売開始

http://instagram.com/p/vvGDCGDW_L/
 昨年11月の「第十九回文学フリマ」であっと言う間に完売したコピー誌「安田理央のよくわかる日本アダルトメディア史」ですが、当日会場で入手できなかったという方が多かったもので、一部のお店で販売させていただくことしました。
http://instagram.com/p/vw9sFPjW0_/

安田理央のよくわかる日本アダルトメディア史」は、「ビージーン」(ジーオーティー)という雑誌に「教えて! エロい人」というタイトルで2012年9月から2013年4月まで連載したコラムをまとめたものです。
 60年代から現在(2012年)までの日本のアダルトメディアの歴史を、僕が先生となって「ビージーン」編集部の女性編集者パン谷さんに講義するというスタイルになっています。なので参考書風にして、安田三号にも、それ風のイラストを描いてもらいました。

「文フリ」用にこれを作った時は、ボリューム的にもちょうどいい手持ち原稿だな、くらいの気持ちで選んだんですが、改めて読み返してみて、アダルトメディア全体の歴史を語った書籍って、これまで無かったことに気づきました。
 アダルトメディアは、ピンク映画のスタッフが黎明期のAVを作ったり、さらにビニ本の会社がAVメーカーになったり、近年ではエロ本がAVにおんぶにだっこ状態になったりと、各ジャンルが密接なつながりを持って発展して来ました。
 でも不思議なことに、AVならAV、エロ本ならエロ本とそれぞれのジャンルの歴史を追った本はあっても、アダルトメディア全体の歴史を俯瞰する本は全然ないんですよね。僕の書いた「エロの敵」は一応、エロ本、AV、デジタルメディアの3ジャンルの歴史を語っていますが、これも章立てが別になっているんですね。
 その点、この「よくわかる日本アダルトメディア史」は、年代ごとに分けて、縦軸で語っています。連載してた時はあまり意識してなかったんですけど、意外に他ではやってない試みだったんですね。

 というわけで「安田理央のよくわかる日本アダルトメディア史」、24ページのコピー小冊子ではありますが、これを読めば日本のアダルトメディアの流れが概ね把握できるという本なのであります。いや、あんまりメリットは無いかもしれないけどね(笑)。
 こういう形でアダルトメディアの歴史を紹介する仕事、もっとやりたいな、と思っております。ご依頼、お待ちしておりますよ!

さて「安田理央のよくわかる日本アダルトメディア史」ですが、とりあえずおなじみ中野ブロードウェイタコシェさんで取り扱いを開始しました。
 この後、神保町の芳賀書店さんでも取り扱っていただく予定です。

300円(税別) 通販もタコシェさんをご利用下さい。

Welcome to TACO ché - ようこそタコシェへ - » 60年代以降のエロ媒体を俯瞰する「安田理央のよくわかる日本アダルトメディア史」

続おやじびでお 第14話 官能小説こそエロの王道

 動画じゃなくっちゃ抜けない! だからDVDが付いてないエロ本じゃダメ! というのが最近のズリネタの常識なのでしょうか。紙派には、肩身の狭い世の中です。
 でも私は動画よりも静止画派。AVで抜くことよりも、写真や漫画、そして小説で抜くことの方が多いのです。

 特に好きなのがSM小説。私がオナニーざかりの中学高校時代にあたる80年代前半は、SM雑誌の全盛期。「SMセレクト」*1や「SMスナイパー」*2をはじめとして二十誌以上のSM雑誌が刊行されていたのです。
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SMセレクト創刊号
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SMスナイパー創刊号


 さらに85年には、あのフランス書院文庫が誕生します。当初はその名前の通りに海外の翻訳ポルノ小説を出していたフランス書院文庫ですが、次第に国内作家の作品にシフト。しかも蘭光生*3などのそれまでSM誌に書いていた作家をメインにしていきました。
 このフランス書院文庫が毎月数十万部を売り上げるという大ヒットになり、マドンナメイト文庫、グリーンドア文庫なども参入し、官能小説は黄金時代を迎えることになります。
 そして前述のように、これらの小説の大半がSMや凌辱色の強いもの。ちょうどこの頃、団鬼六*4の代表作「花と蛇」が角川文庫に収録されるなど、SM小説にスポットライトが当たる時代でもありました。
 もともと永井豪のエッチ漫画でSMっぽいテイストが刷り込まれていた私は、フランス書院文庫にどっぷりハマってしまったのでした。
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フランス書院文庫「肉牢」蘭光生

*1:70年創刊のSM専門誌。以降のSM誌のスタイルを決定づけ、全盛期は15万部も発行されたが90年に休刊。発行元の東京三世社も昨年に自主廃業した。

*2:79年にミリオン出版(のちワイレア出版)から創刊されたSM専門誌。それまでのSM誌のイメージから脱却したモダンなビジュアルと強いサブカル色で一世を風靡した。09年休刊。

*3:80年代の官能小説をリードした凌辱の巨匠。SF作家・式貴士は同一人物。91年没。

*4:60年代に大長編「花と蛇」で日本のSM小説の基礎を築いた巨匠。映画化も多い。2011年没。

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最近、男性の興味がマンコからチンコに移っているのではないか

 最近、男性の興味がどうも「マンコ」から「チンコ」に移ってきているんじゃないかと考えている。

 そう思ったきっかけの一つが、今の若者はクンニをしないという話だ。その一方でおじさんはクンニが大好き。実際に統計を取ったわけではないが、女の子たちに話を聞いてみると、この印象は間違いないようだ。若くなるにつれ、クンニが苦手な率は高くなる。
 しかし、この若い男たち、クンニはしないくせに、フェラは必ずさせるようだ。そして女の子の方も、あまりそれを不自然と思っていない節がある。フェラをするのは当たり前だからするけれど、クンニはよっぽどエロい男がすることだと思っている子もいる。だから、クンニされることを、やたらと恥ずかしがったりする。

 そしてもうひとつのきっかけが、昨年から話題の男の娘AV女優・大島薫の存在だ。手術もしておらず、女性ホルモンも打っていないのに、そのルックスは女性そのもの。しかし、股間には立派すぎるほどのチンコがそそり勃っている。彼(彼女?)に言わせると、女の子の身体にチンコが生えている姿が理想なので、勃起力を弱らせるホルモンは打ちたくないのだという。
 大島薫の作品では、チンコが非常に大きな役割を果たす。男優たちは、大島薫のチンコをしごき、時には口に咥える。大島薫本人も、アナルに挿入されながら、自らチンコをしごいていたりする。
 昨年HMJMから発売された「ボクは男の子ですけど、こんなカラダでも興奮してもらえますか? 大島薫」という作品に顕著なのだが、大島薫をハメ撮りする梁井一監督も「チンコが好きだ」と語り、彼のチンコを愛おしそうに愛撫する。
 
 実はチンコが好きだと言う男は、意外なくらいに多い。AVを見ていても男優のチンコが気になるというのだ。だからと言ってゲイというわけではない。男性が好きなわけではなく、チンコが好きなのだ。

 これには、チンコには自分の快感を投影しやすいという理由があるように思える。女がいくらマンコを愛撫されてアンアン気持ちよさそうにしてても自分は女ではないので、リアリティを感じない。その点、チンコならAVを見ていてても、自分の快感に置き換えやすい。
 AVでは潮吹きの人気が高いのだが、あれなどは完全に射精のメタファーとして男性は見ている。普通にイク反応では、ピンと来ないけど、潮吹き=射精だと考えると、感情移入がしやすい。

 この傾向は、どうも男性の想像力が欠如しつつあるので、安易に自己投影しやすい方に流れているんじゃないかと考えているのだが、それは僕が、あまりチンコ好きじゃないから、いくぶんバイアスがかかっているかもしれない。僕は、他人のチンコは好きじゃないので、できるだけ見たくない派だ。さらに言えば自分のチンコもあまり好きじゃなくて、とにかくマンコ好き。ええ、立派なおじさんですからね!

 この辺の話はもう少し考えてみたいと思う。無修正ポルノが簡単に見られるようになって、マンコの価値が下がってしまったから、マンコへの興味が失われた、という単純な問題でもないような気がするのだ。


WEBスナイパーで「ボクは男の子ですけど、こんなカラダでも興奮してもらえますか? 大島薫」を僕を含む4人のライターがクロスレビュー。やはり、話題はチンコ。

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