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ダリブロ 安田理央Blog

フリーライター安田理央のBlogです。

生稲マガジンとその時代・3

 お待たせしました。一ヶ月ぶりの続きです。


「BOO!」1988年4月号で、うしろ髪ひかれ隊のグラビアを担当した。うしろ髪ひかれ隊は、おニャン子クラブの工藤静香・生稲晃子斉藤満喜子によるアイドルユニットだ。自分の得意分野ということで3人に楽器を持たせてバンドっぽいグラビアを撮ろうと考えて、自分のものや友達から借りてきたサックスやギター、ベース、シンセ(プロフェット5)をスタジオに持ち込んだ。
 僕は撮影前は、おニャン子らしからぬプロっぽいカッコよさを持っていた工藤静香が気に入っていたのだが、実際に会ってみると、ほんわかした天然っぷりが何とも可愛らしい生稲晃子に惚れ込んでしまった。
 ああ、アッコちゃんは可愛いなぁとポジを選びながら編集部で呟いていると、編集長が「それなら、生稲晃子の連載、お前やるか」と言ってきた。これで毎月アッコちゃんに会える! 嬉しかった。
 話はとんとんと進んで、このうしろ髪ひかれ隊のグラビアが掲載される号から生稲晃子の連載も始まることになった。時間も無いので、連載のコンセプトも固まらないままに取材することになった。モノクロで3P。とりあえず、彼女が高校時代を過ごした吉祥寺をテーマに話を聞いた。高校生の時(といっても1〜2年前の話だが)によく行っていた店、JOYオーワダ、ラーメン一園、お好み焼き百花などを上げてもらった。
 さて、これをどうまとめるか。取材が終わってから考えるとは、ずいぶんいい加減な話だが、当時は人手もなく忙しすぎたので、こんなルーズな編集は日常茶飯事だった。
 そのまま「アッコちゃんのおしゃべり通信」みたいな安易なページにするのは、ちょっとイヤだった。何しろ思い入れのある生稲晃子の連載ページなのだ。
 ふと「生稲マガジン」というタイトルが頭に浮かんだ。僕の最も好きな雑誌内雑誌というパロディスタイルで構成してみたらどうか? そう思いつくと、後はどんどんアイディアが浮かんだ。
 そして「月刊生稲マガジン」が生まれたのだ。

月刊生稲マガジン 突然創刊号
「大特集 生稲晃子の吉祥寺等身大ガイド 今や時代はKICHIJOHJI!  生稲晃子直筆吉祥寺MAP付!」
「あっこ編集長の読者と語る」
「創刊記念特別豪華大プレゼント」

 雑誌と言っても3P企画。表紙が1Pに本文が2Pだけだ。欄外には雑誌内雑誌のお約束「月刊生稲マガジンには毎月楽しい付録『BOO!』がついています」の一文も忘れない。
 編集長にも、プロダクションにも何も言わずに一晩考えて勝手に構成してしまったのだから、いい加減な時代だったと思う。二回目の取材の時、生稲晃子はこんなページになっていたと驚いていた。
 2号目は「謎と神秘の巻頭大特集 占いで見る生稲晃子大解剖」。彼女を様々な占いで分析して、コメントをもらった。
「生稲マガジン」は、読者にも好評だった。アンケートの成績もよく、3号目はカラー5Pになった。「生稲晃子生誕20周年&ソロデビュー記念オールカラー特大号」である。巻頭特集は「やっぱりジャイアンツ」。巨人軍の試合予定表なども掲載してみた。
 そして第4号はソロデビューにちなんで「TALKING ABOUT AKKO'S SONGS」。ソロデビュー曲や、うしろ髪のアルバムのソロ曲、そしてローソン「からあげクンのCMソング」(今、調べたら作編曲は白井良明だ)などについて解説してもらった。
 この「生稲マガジン」、読者にも本人にも評判がよく、僕にとってはこの仕事をはじめて最初に手応えをつかんだ企画だったような気がする。とにかく作っていて楽しめたページだった。「BOO!」自体も、編集のコツのようなものがわかってきていて、「DUNK」とも「BOMB!」とも「シュガー」とも違う「BOO!」なりのテイストというものが出せて来た。
 この「生稲マガジン」第4号が掲載された1988年7月号は「BOO!」の創刊一周年号でもあった。表紙と巻頭特集は当時ナンバーワンの人気だった浅香唯。
 そして、この7月号の編集作業が大詰めになった頃に、「BOO!」の休刊が告げられた。
 最近、やたらと編集長が版元へ打合せに行くなど、その気配はあった。しかし一年間、正に寝食を忘れて打ち込んできた雑誌が無くなってしまうというのは自分にとってはかなりショックだった。
 7月号には、特に「休刊」に触れた記事はなかった。ただ次号予告に具体的な内容が触れられていないあたりで直感した読者はいたかもしれない。
 休刊号を出してからしばらくは、その編プロでPR誌の記事などを書いたりもしていたが、やはりどうにもやる気が起きず、退社した。
 その時、僕は20歳だった。
 初めて打ち込んだ仕事が消えたという喪失感は大きく、もう編集の仕事も辞めようかなと思った。しかし、結局はその後も編プロを転々とすることになる。乞食と出版の仕事は三日やったらやめられないのだ。
 そして40歳になった今も、僕は出版の仕事にしがみついている。
 
 

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