ダリブロ 安田理央Blog

フリーライター安田理央のBlogです。

続おやじびでお 第3話 ゴールドマン監督と知り合って……の巻

そして90年代初頭、日本のAV界におけるパンクムーブメントが訪れた! なんてカッコイイことをつい言いたくなるような時代だったのだ!


 おれは決して忘れない。ゴールドマンのAVに初めて触れたあの時の衝撃を……なんて、ロック評論風に書きたくなってしまうほど、私にとってゴールドマン監督*1との出会いは衝撃的でした。1989年の事です。
 当時、私はビデオ業界誌の編集部でバイトをしていました。レンタルビデオショップ向けの雑誌なので一般作中心の誌面ではありましたが、当然AVも扱っていて、編集部にはサンプルテープもたくさんあったんですね。
 そのうちの一本に「着せ替え生肉人形」という作品がありました。AVアイドルとして一世を風靡した早見瞳*2が、SMの名門メーカー、アートビデオに出演している! あの早見瞳の初SMか! 僕は興奮してそのサンプルテープを奪い取るように借りて帰りました。
 期待に胸を踊らせながら再生すると、それは何とも奇妙な作品だったのです。画面は黒い枠で小さく縁取りされ、真っ白な部屋の中で、変な格好をしたマスクの男に、白衣姿の早見瞳が拘束されていくのを淡々を固定カメラで撮影していたり、メイド姿の早見瞳が黙々とフェラチオするのを主観撮影していたり……。今では当たり前の主観撮影ですが、当時、フェラされる本人が撮影しているというのは、大変珍しい手法だったんですね。その後も早見瞳に色々なコスチューム着せてはフェラさせての繰り返し。その無機質な映像は、まるで実験映画のようでした。私が期待していた過激なSMとは全く無縁ではありましたが、既存のAVとは明らかに違ったこの作品に私は強く興味を持ったんですね。
 ラスト、付け足しのような短いセックスシーンがあって、唐突に本編が終わり、「Directed by GOLDMAN」のクレジット。え、ゴールドマン? これを撮った監督の名前なのか?
 私は、このゴールドマンの作品を次々と見ていきました。ハンディカメラでワンカットによるハメ撮りという当時としては実験的すぎる手法で撮影した「なま」、極度なエフェクトでもはや何が写っているのかわからない「100P」など、もういちいち凄かったんです。
 感動した私は当時やっていたフリーペーパーのインタビューにかこつけて、ゴールドマン監督に会いにいったのでした。それがきっかけで、ゴールドマンの仕事などを手伝うようになり、AVの制作現場に顔を突っ込むようになったんですね。
 さて私がゴールドマンにハマっている頃、AV業界ではもうひとつの新しい動きがありました。SMやレイプ物、スカトロ物、獣姦物などをリリースし、どちらかと言えばキワモノメーカーと思われていたV&Rプランニングに新しい才能が集まり始めていたのです。
 まず最初に話題となったのが「女犯」です。90年に発売されたこの作品は、そのあまりにリアルで過激なレイプシーンが話題となり、フェミニスト団体が抗議して社会問題となるほどでした。私も初めて見た時は、その生々しさに唖然としました。見てはいけないものを見ているような気分。後に全て演出だったことが明かされるのですが、フェミニスト団体がダマされてしまうのも当然と思えるリアルさがありました。その監督、バクシーシ山下*3はこうして時代の寵児としてクローズアップされていきます。
 さらにもう一人の問題児がV&Rから登場します。92年に「水戸拷問」を発表する平野勝之*4です。暴力、ゲロ、ウンコに花火シャワーとバイオレンスかつアナーキーな作風で注目を集め、やがて自分の不倫体験を描いた「わくわく不倫講座」などのドキュメント路線でAV表現の最前線に躍り出ます。
 そしてカンパニー松尾*5です。監督デビューは88年と早いのですが、初期の作風はMTVを意識したようなカラフルでポップな画面と叙情的な演出が前面に出たもので、斬新さには欠けるところがありました。しかし、91年の「私を女優にして下さい」シリーズなど、8ミリカメラを使っての素人ハメ撮りという手法を編み出した松尾は、AVの新しい表現を切り開いていくことになります。
 この90年代初頭のAV業界は、桜樹ルイ白石ひとみ朝岡実嶺といった超人気単体アイドルが登場し、メーカー共同による「ビデオソフトメーカー感謝祭」が豪華客船を借りきって行われるなど、正に黄金期を迎えていたのですが、その一方で栄華を誇っていたダイヤモンド映像が倒産するなど、不況の足音がひたひたと近づいていた時期でもあったのです。
 そんな中で彼らのような新しい才能の登場は、まるで停滞した音楽業界を生まれ変わらせたパンクムーブメントのように当時20代の私には感じられました……なんて、やっぱりロック評論風な文章になっちゃいましたね、いつもと違って(笑)。でも、ホント、彼らの存在は同世代としても嬉しかったんです。思わず当時、「ロッキングオン」誌に「今、本当にアナーキーなのはロックよりもアダルトビデオだ!」なんて趣旨でゴールドマンやカンパニー松尾についての原稿を投稿しちゃったりしてました。若気の至りでお恥ずかしいです。
 そしてこの頃、密かに通信販売による自主制作ビデオや、ブルセラショップのオリジナルビデオなどが作られはじめます。美少女や美女が綺麗な映像の中でセックスをするのが王道というAVの世界が少しづつ揺らぎ始めます。作られた美少女よりも、生々しい素人の方がエロい。私たちユーザーもそんなことに気づいたのです。
 そしてこの時期、日本のエロメディア史で最も大きな事件が起きていました。それは、91年から始まるヘアヌードブームでした…。

TENGU(ジーオーティー)2010年6月号掲載。現在も連載中で、発売中の11月号ではAV雑誌について書いてます。ちなみにゴールドマン監督は現在、セクシーアカペラ歌手としても活動。DVD「超セクシーアカペラ大全集」は、僕が販売を担当しております! 素晴らしい作品なので、買って! http://d.hatena.ne.jp/rioysd/20100908/p1

*1:87年「電撃!!バイブマン」でAV監督デビュー。その後「なま」でハメ撮りを、「ザ・フーゾク」で風俗を、「わたしは痴女」で痴女&淫語ブームを切り開くなど天才監督の名を欲しいままにするが90年代末に突如活動を休止し渡米。

*2:吉沢有希子名義で84年「ミス本番 有希子20歳」でデビューし、後に早見瞳と改名。AV女優としては初めてレコードデビューも果たしている。

*3:男優を経て、90年「女犯」でAV監督デビュー。世の中のタブーに切り込む異色のドキュメント路線で一世を風靡し、文化人としても活躍。

*4:16歳で漫画家デビュー、自主映画監督として3年連続でぴあフィルムフェスティバル入選の快挙を果たしたのち90年「由美香の発情期」でAV監督デビュー。私小説的な作風を得意とし、作品が劇場公開されるなど一般的な評価も高い。

*5:88年「あぶない放課後2」でAV監督デビュー。磨き抜いたハメ撮りテクニックと洗練された映像センスで、日本を代表するAV監督として高く評価されている。ハメ撮りの神と呼ばれることも。自身が率いるメーカー「HMJM」などで活動。

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