ダリブロ 安田理央Blog

フリーライター安田理央のBlogです。

続おやじびでお 第6話 ロリコンはどんどん肩身が狭くなるよの巻

 前回のテーマが熟女だったから、今回はその逆で、というわけではありませんが、日本のエロメディア史を語る上で避けて通れないのが、80年代前半のロリコンブームなのです。現在40代のおじさんの中には、思春期にこの洗礼を受けてしまった人が多いのではないでしょうか?
 そもそもブームの発端は「リトル・プリテンダー」*1という11歳の少女のヌード写真集のヒットでした。それまでも少女ヌードの写真集は芸術作品として何冊も発売されていたのですが、この頃から少女ヌードをエロとしてとらえる風潮が生まれていたのです。
 その大きな理由のひとつが、ワレメでした。当時の日本では猥褻の基準が陰毛だったんですね。陰毛が写っていれば猥褻物、という大変わかりやすい基準。じゃあ、陰毛がなければ猥褻じゃないのか。まだ陰毛の生えていない少女のワレメは猥褻じゃないのではないか、という明らかにおかしな理屈が通用しちゃったんですね。そこで、ワレメが丸見えの少女ヌードが続々と登場したのでした。
 ちょうどこの時期、漫画方面でも「ロリコンブーム」が盛り上がっていました。1979年に蛭児神建*2吾妻ひでお*3らによる日本初のロリコン漫画同人誌「シベール」がコミケに登場。それまでエロ漫画と言えば劇画タッチが当たり前だったのが、少年漫画的なタッチで描かれる可愛い女の子のエロは斬新であり、多くの漫画マニアに受け入れられていきます。さらにアニメ雑誌などで「ルパン三世 カリオストロの城*4のヒロイン、クラリスなどの少女キャラを取り上げる「ロリータ特集」が多く組まれるようになります。
 このように二次元、三次元がリンクするかのように盛り上がり、世界でも類を見ない空前のロリコンブームへとつながっていくのでした。
 いや、ホント、笑っちゃうくらいこの時期は少女・幼女ヌードが街にあふれていたのですよ。ブームのピークとも言える1982〜83年頃は少女ヌードの写真集が年間20冊以上も出版され、まだ普通のAVも珍しかった1982年には、もうロリータビデオの第一弾「あゆみ11歳 ちいさな誘惑」*5が発売されています。さらに83年には少女Mという13歳のヌードアイドルが登場し、ビデオや写真集だけではなく、一般誌のグラビアや劇場映画にまで活動の幅を広げていました。
 そうそう、この頃はマニア向けではない雑誌に、普通に少女ヌードが出ていたんですね。「プレイボーイ」や「平凡パンチ」、「GORO」に「スコラ」といったメジャー系誌にも、そしてもちろんエロ雑誌にも、18歳未満の女の子の裸が掲載されていました。
 特に白夜書房(現コアマガジン)系のエロ雑誌には、必ずと言ってもいいほどにロリータヌードが数ページありましたね。例えば伝説のサブカルエロ雑誌「写真時代」の創刊号(1981年9月号)を見てみると、ロリヌードの巨匠・清岡純子先生*6によるたからまゆみちゃん11歳をはじめとして、8歳、5歳(!)の女の子がいたいけなヌードを披露しておりますし、「ビデオザワールド」創刊号(1983年11月号)にも海外の少女・幼女のヌードグラビアが掲載されております。
 つまり、普通にエロ本を見てたら、少女ヌードも目に入る。そんな時代だったわけです。
 そして、一般書店にも少女ヌード写真集が普通に置かれていて、立ち読みできちゃったりしたのですよ。
 印象深いのは「私はまゆ13歳」という写真集。モデルの花咲まゆちゃんという子は、おっぱいも大きくて、なかなかの発育をしていました。当時、僕は15歳だったので、一般のヌードモデルよりも、ずっと身近というかリアルな同世代のヌードだったのですね。そんな子のワレメ丸出し写真が普通の本屋で立ち読みできた! 今、考えると恐ろしいですね。
 さすがに当時は購入することは出来ませんでしたが、ちょくちょく店員の目を盗んでは立ち読みして、心と股間を熱くしておりました。
 まぁ、そんなわけで当時は、単に無修正のワレメが見られるという理由で、いわば成人女性のヌードの代用品的に少女ヌードを見ていた人も多かったのではないでしょうか? もちろんここでロリコンに目覚めちゃった人もいるでしょうが。
 しかし、当然のごとくこんな状況が長く続くはずもなく、1985年以降は少女のワレメも猥褻として摘発されるようになり、少女ヌードブームは終結。さらに1989年の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(宮崎事件)により、ロリコン=オタク=危険というイメージが広がり、ロリコンへの弾圧が始まります。さらに1997年の児童ポルノ法の施行によって、完全に少女ヌードは生き絶えることになりました。
 そして、今話題の「非実在青少年規制」をはじめとして、児童ポルノへの締め付けは厳しいものとなっています。規制派は、児童ポルノの単純所持すら禁止しようと目論んでいるんです。
 しかし、そうなると前述の通りにロリコン雑誌だけじゃなく、あの時期のエロ雑誌やグラビア雑誌は軒並み所持禁止ということになっちゃうんですよね。「プレイボーイ」や「平凡パンチ」も、もちろん「写真時代」も! 
 よくも悪くも、こういう時代があったのだということは事実なんだから、その痕跡を一切消してしまおうというのは、ちょっと怖い気がします。特に僕のようにエロメディアを研究している人間にとっては痛手ですよ。
 うーん、単純所持禁止だけは、なんとかなんないもんですかねー。それ見てオナニーとかしないって、約束しますから。……ダメ?

TENGU(ジーオーティー)2010年9月号掲載。いや、ホント、昔の雑誌には平気でロリータヌード出てるんですけど、こういうのも持ってたら犯罪っての困りますよね。古雑誌取っておいてる人なんて、危険ですよ。

*1:サブタイトルは「小さなおすまし屋さんたち」 79年ミリオン出版刊。カメラマンは山本隆夫。登場する5人の少女はすべて11歳だとか。

*2:作家、編集者として初期ロリコンシーンのカリスマに。長髪にサングラス、マスクという不気味なスタイルがトレードマーク。後に出家して僧侶になった。

*3:漫画家。少年チャンピオン連載の「ふたりと5人」で人気作家となるも、自らアングラなシーンへと活動の場を移し、初期ロリコンシーンのカリスマに。

*4:監督は宮崎駿。ルパンの「妬かない妬かない。ロリコン伯爵」というセリフがあるが、制作された79年は、本格的ロリコンブームの到来以前であり、むしろこれがロリコンという言葉を定着させたとも言える。そのため、ヒロインのクラリスは設定年齢17歳とロリータというには年が上だが、当時のロリコンブームのシンボルとして扱われていた。

*5:発売は三田プロダクション。三万円で通販のみだったが爆発的に売れたという。あの伝説のライター、故・青山正明も出演していた。

*6:少女ヌードの大家として知られる女流カメラマン。菅原道真の血を引く京都の名門華族の出でもある。91年没。

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