2001年9月に書いた原稿
前日に、アメリカで大規模テロが起きていた。昨夜から僕はずーっとテレビに釘付け。移動中もラジオでニュースを聞いていた。遠く離れた日本でも街中がヒリヒリとした空気に満ちているような気がした。そんな日に早稲田のホテルでMを撮影した。
つけっぱなしのテレビからは、あの衝撃的な映像が何度も何度も繰り返し流され、緊迫したアメリカの惨状が伝えられていた。そんな緊急番組を横目で眺めつつ、僕たちはダブルベッドに寝転がって、たわいない話を交わし、不謹慎な行為に耽った。
現役大学生であるMが、AVモデルの仕事を始めたのは半年ほど前。短大を卒業した後にダンスの学校に通うための資金をためておきたかったという理由がきっかけだ。彼女はテーマパークのダンサーを目指しているのだという。夢は、やはり東京ディズニーランドで踊ること。
「子供もダンスも好きだから」
なるほど。
それまでにもスカウトの声は何回もかけられていたが、たまたま金銭的にピンチだった時に気持ちが動いた。とりあえず一回やってみようと思った。もっとも最初は水着グラビアという話だったらしいが。
しかし最初の撮影がいきなりAVでの3Pだった。それも3Pがやりたくてインターネットで相手を募集しているという女の役。自分から積極的に男を誘う態度をとらなくてはならないのに、それが上手くできなかった。セックスの時にはいつも受け身だった彼女には、どうやればいいのか、全くわからなくて、ついに泣いてしまった。
「監督に泣くなら、泣いてこいっていわれてメイク室でしばらく泣いてました。結局設定を変えて、ただのハメ撮りにしてもらったんです。3Pで男優さん2人いたから、ハメ撮りも2回やったんですけど」
泣いてしまうほどつらい仕事だと思ったはずなのに、なぜか彼女は辞めなかった。5本目の現場くらいからは、むしろ楽しい仕事だと思うようにすらなった。出演作はもう10本を数える。
「仕事だと普段やらないこと、できるでしょ。コスプレとか変わった体位とか。それまで正常位しか知らなかったんですよ。あ、バックは一回だけやったかな? 騎乗位はビデオが初めてでしたね。レズも楽しかった。普段もよくふざけて女の子とキスしちゃうんですよ。さすがに下の方はどうやっていいか、わからなかったですけどね(笑)」
この仕事を始めてからセックスの良さもわかったそうだ。初体験は大学に入ってから。18歳の終わりというから、処女を失ってから1年たたずにAVの仕事を始めたことになる。初体験が遅かったのは、家が厳しかったせいもあるようだ。高校時代は門限8時で、バイトも禁止。家のしつけが厳しかった反動でAVや風俗に走る子は、意外に多い。
ちなみに初体験の相手は友達の友達。飲み会のなりゆきでという黄金パターン。プライベートでの体験数は10人以内だとか。
「それまでは、相手がしたがるから、なりゆきで仕方なくって感じだったんですよ。でも最近、エッチって気持ちいいなぁって思うようになりましたね。仕事で色々やるようになったからかな。私、ちょっとM気あるみたいなんです。もともとチヤホヤされるより、冷たい態度をされてるのを自分から追っかける方が好きですし。縛られたり目隠しとか、いいですね。プライベートでもタオルで手を縛ってやったことがあります。そのうちSMの仕事もやりたいですね。痛いのとか苦手だし、言葉責めとかは笑っちゃうんですけど」
レイプにも興味がある。
「何回かレイプものの仕事もあったんですけど、よかったですね。実際に犯されるのはイヤだけど、プレイとしてなら興奮しちゃいます。AV見るのでもレイプもの、好きなんですよ。どんな人にレイプされたいか、ですか? うーん、普通のオジサンとか。オヤジっぽい人がいいですね」
基本的に年上好きらしい。ファザコンなんだと自分で分析する。聞いてみると、父親はまだ42歳。僕は彼女よりも、ずっとお父さんの方に年齢が近いことになる。なんだかなぁ。しかも再婚だという義母に至っては僕より年下なのだ。ちょっと複雑な心境になる。
撮影のあと、高田馬場のこじゃれたホルモン焼きの店で一緒に呑んだ。酔っぱらうとやたらと陽気になる彼女の口から出た「今、気になる男性」は、みんな年上ばかりだった。自分の年齢が上になってくると、年上好きの女の子の存在って、なんだか嬉しくなるなぁ。そんなことを感じるあたりが、すっかりオジサンだな、僕も。
彼女と別れて自宅に帰ってからも、妻とニュースを見続けたが、その後アメリカの状況に特に大きな進展はなかった。
※2001年にとある雑誌に書いた原稿。ふと読み返して、ちょうど10年前になるのかと感慨深かった。そして僕はこの時のMのお父さんより、もう年上になっちゃってる。