ダリブロ 安田理央Blog

フリーライター安田理央のBlogです。

おやじびでお第1話 AVには手が届かなかったの巻

「おやじびでお」は、「DMM DVD」(ジーオーティー)の2009年7月号から連載された同世代対象の懐古コラムです。現在は「TENGU」(ジーオーティー)にて「続おやじびでお」として連載続行中。

 若い若いと思っていても、気がつけば40代。いつの間にか娘も中学生。うひーっ、こりゃ、おれはもうどっから見ても立派なおやじじゃないですか。
 ところで今のエロ本やAVというのは、30代後半から40代がメインユーザーらしいんですよ。ということは、これを読んでいるアナタもおやじである確率が大変高いということですよ。ふふふ、隠してもムダですよ。おやじ同士、同世代で仲良くしましょうよ、ねっ。
 というわけで昭和42年生まれの安田理央がお送りする、おやじによるおやじのためのおやじAVコラムであります。
 まずは、やっぱり昔話から始めましょう。あなたが最初にAVと出会ったのは、いつだったでしょうか?
 AV史的に言いますと、オリジナルAV第一号*1が作られたのが1981年で、この年がAV元年になるわけですが、まだこの時期というのは、それほど家庭用ビデオデッキも普及していなかったのではないでしょうか。
 81年、私でいうと中学二年生。オナニー覚えてもう夢中の時期でありましたが、その頃のネタは、もっぱらエロ本でした。親が読んでた週刊誌のヌードグラビア*2をこっそり切り抜いたり、真面目な写真雑誌だと言い張って「写楽」を購入して手塚さとみのヌード*3を死ぬほど活用したり、勇気を振り絞って「EIGA NO TOMO」*4を購入してみたりと、あくまでもエロと言えば本という時代でした。ロマンポルノ映画というものもありましたが、あれは遠い憧れだったなぁ。老けた顔した同級生が、見に行ったとか言ってクラスの英雄になったりしてたなぁ。
 本と言えば、80年からビニ本ブームというのが起きていまして、我々中学生の間でも、話題にはなっていました。谷村新司先生*5がラジオで、よくビニ本の話をしてくれたんですよ。もちろんラジオですから、何も見えません。
「うわ、これは…」「もろに見えちゃってますね、ひひひ」などと、谷村先生とばんばひろふみさんが、ビニ本を見ながら感想を語っているのを聞きながら、我々はまだ見ぬビニ本に思いを馳せていたのであります。おれ、大人になったら、絶対に神田神保町芳賀書店に行ってビニ本買うんだ!と心に誓ったものです。いや、実際には高校生の時には、もう芳賀書店に行って買いましたけどね。
 そして高校生となった83年に「オールナイトフジ」という深夜番組が始まったんですね。女子大生ブームを巻き起こした番組ですが、私たちのお目当ては、鳥越マリでもおかわりシスターズでもなく、AVの紹介コーナーでありました。毎週AVをちょっとだけ流してくれるのですよ。
 もちろん深夜とはいえ、テレビですから、モロにセックスのシーンは映せません。そういうシーンになると、カメラは恥ずかしがりながらも画面を見ている女子大生の顔に切り替わるわけですね。今なら、これはこれで大変いいネタだと思うのですが、当時の高校生としては、もう悔しくて悔しくてしょうがありませんでしたよ。女子大生なんかどうでもいいから、AVを映せ、裸を見せろ! と画面に向かって訴えたものです。深夜に、親が起きてこないかドキドキしながら。
 それでも、ちょっろっとだけでもAV女優のヌードが見られれば満足だったのです。おっぱいがチラリとでも写れば、それだけで十分実用になったのです。
 同級生の中には「オールナイトフジ」のそのコーナーだけを録りためていた勇者もいました。でもお前ビデオデッキ持ってるなら、なんとかしてAV自体を入手しろよ! とも思いましたけど。
 さらにその頃、AV情報誌*6というものが登場しました。「オレンジ通信」とか「アップル通信」などといった雑誌ですね。身分証明書を出して会員にならないと借りられないレンタルビデオに比べれば、本屋でエロ本を買うことは、ずいぶんハードルは低かったのです。たぶん、書店のおじちゃんたちも、わかって売ってくれていたのでしょう。
 私たちは、そうした雑誌で紹介されるAVのパッケージや画面撮り写真を眺め、まだ見ぬAVに思いを馳せていたのであります。おれ、大人になって一人暮らししたら、絶対にレンタルビデオ屋でいっぱいAV借りるんだ!と心に誓ったものです。いや、実際には、翌年くらいには、もうAVを借りるようになったんですけどね。
 ええ、レンタルビデオ屋も本屋と同じで、何の文句もなくAVを貸してくれたんですよ。
 となると、問題はビデオデッキです。私は、親戚がやっているセブンイレブンで生まれて初めてのアルバイトを始め、そして親と半額ずつ出し合う形で、ビデオデッキを購入したのであります。
 1984年、我が家にビデオデッキがやってきた! そしてそれは私とAVとの長く濃密なつきあいの始まりでもあったのです。
 ちなみに私が最初に借りたAVは、シネマジックの「女子校生調教 浣腸ゼミナール」*7でありました。我ながら、いきなりマニアックだ…。

*1:日本ビデオ映像「ビニ本の女」「OLワレメ白書」だというのが定説。

*2:週刊新潮」にも毎号ヌードがあったがモノクロでアート色が強すぎて使えるものではなかった。が、若さのパワーで使った。

*3:「写楽」(小学館)1980年9月号。当時19歳の手塚さとみは今見てもカワイイし、十分使用可能。「写楽」はビニ本紹介コーナーなど、ちょこちょこエロがありつつも、エロっぽくない雑誌だったので買いやすかった。

*4:成人映画雑誌。元が一般映画雑誌だったためか、エロ雑誌コーナーに置かれていないことが多く買いやすかった。

*5:5千冊以上を所有していた日本有数のビニ本コレクター。アリスの武道館コンサート終了後、なじみのビニ本屋で店番していたところにファンが来店して驚かれたという心温まるエピソードもある。

*6:この辺りの雑誌は、創刊当初はAVよりもビニ本、裏本裏ビデオなどの情報がメインだった。

*7:カルトスター、中野D児先生出演作。なんでこれを借りたのかは覚えていない。

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