ダリブロ 安田理央Blog

フリーライター安田理央のBlogです。

インタビューズ 「安田理央ならこういうね」再録1(2011年8月2日~9月2日)

2年前にハマりまくった「ザ。インタビューズ」ですが、半年くらいですっかり飽きてしまい放置していたのですが、2014年1月6日にサービスが終了してしまうそうです。

【2014年1月6日(月)】をすぎますと閲覧・投稿、管理ページへのログインも含め、全ての機能がご利用いただけなくなります。
お手数ではございますが、必要な情報はあらかじめお手元に保存していただきますようお願いいたします。

でも、エクスポート機能とかないんですよ。お手元に保存って、どうすりゃあいいんだよ! 仕方ないから手動でチマチマとコピペしてEvernoteに保存しましたよ。383件もあるのに、もう!

しかし改めて読んでみると、我ながらなかなか面白いですね、僕のインタビューズ。このまま誰にも読んでもらえなくなるというのは、なんだかもったいないので、面白いものを少し再録してみようと思います。


ライターとしてもっとも影響を受けた3人と、その理由をお教えください。

文章を書いて仕事がしたいと思ったのは、半村良さんにハマってから。
書くということの面白さを知ったのは、赤瀬川原平さんの、多面的な物の見方を知ってから。
エロライターになろうと思ったのは、東良美季さんが編集していたボディプレスで、東良さんたちの文章を読んだから。

一番、すごいなと思っている同業者は藤木TDCさんです。

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ボディプレス創刊号


カツカレーが存在しない世界を想像してください。 あなたの心にはどんな感情が湧き上がりますか?

ならばおれがカツカレーを作って、おれがカツカレーの王になる、という意欲が湧き上がります。


かなりセーブしているようですが、まだ「金儲け」より「好きなこと」を 優先しているように見受けられます。 この辺のバランスの取り方について、何か考えていることはありますか?

好きなことをして金儲けをしたいのです。だから、好きなことの中で、なんとか金儲けが出来る方法がないかを模索している感じです。甘い考えだとは、わかっていますが。


座右の銘など、あなたの好きな言葉はありますか?

固いこというなよぉ。



「No.1 in Heaven」は休刊してしまったのでしょうか?

3号が自分の中で満足行く物になったので、なんとなく一段落ついた気分になっちゃったんですよね。
まぁ、ようするに飽きたということなんですが(笑)。
基本的に、いつも実験の意識が強いもんで、「ああ、こういう感じでやればいいんだ」とわかると、やる気が失せちゃうんです。
本当は、そこから続けていくことが大切だということもわかってるんですが。

というわけで、ごめんなさい。またやる気が出てきたらやります。
DVD-Rマガジンというスタイルは、まだまだ可能性があるし、
作るのは楽しいので、新しいアイディアが思いついたら、また始めると思います。

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最初は心を開いてくれない取材相手が、 取材中に徐々に心を開いてくれる、あるいは次の取材のときには心を開いてくれる、 ということはありますか? あるとしたらどんなきっかけでそうなったのでしょうか?

僕の場合は、裸商売をしている女性が取材対象のことが多いので、その辺の前提で話します。

なんだかんだいって、そういう仕事の女性は、自分が「他の世界の人」だという視線で見られることに敏感です。ですので、できるだけ僕もそっち側の人間だということを伝えるようにしています。僕自身、制作もやっているし、汚れ仕事もずいぶんやってきたので、その辺は有利ですね。わざと「はい、仕事仕事」みたいな言い方をしたりもします。
「共犯関係」だと思ってくれると、急にガードが緩みます。
また、相手を見下すのはもちろん厳禁ですが逆に見上げるのもよくありません。向こうからファンだとかお客さんだとか思われると、それはそれで一線を引かれてしまいます。
だから必要以上にチヤホヤしたりもしません。

ただ、心を開いてもらう、とか本質に迫るとか、そういう大それたことは考えません。面白い原稿がかけるだけの、話を引き出せればいいと思っています。


EGACKY、覚えていらっしゃいますか。結局どのくらいの期間使われてましたか。

もちろん覚えてますとも! 結局一年くらい使いましたかね。携帯電話のメール機能が充実してきて、使わなくなったのかな。あれ、手書きメール機能よりもメール端末として愛用してたから。

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現在の仕事以外に就いてみたかった職業はありますか?

子供の頃は、親が飲食業をやっていた影響でコックになりたかったんです。
あとは、漫画家か。絵がかけたなら、絶対漫画家ですね。
その後は、その延長で小説家か。そのうち、フィクションよりもノンフィクションに興味が移ったことで、今のライターという職業に至るわけです。

あとは、AV監督かなぁ。実際にちょこちょことはやってるんですけど、もっと本腰を入れてちゃんとやってればよかったかなとも思ってます。
AV男優もあの職人的なストイックさに憧れます。肉体的なスキルがあれば、やりたかった。

ミュージシャンも職業としてはやりたいとは思ったことないし、勤め人も無理だったし(経験あるけど、10社くらい入っては辞めの繰り返し)、他にも特に思いつきません。

エロ系ライターという職業が一番好きなので、幸せです。でも、もうこの職業自体が成り立たなくなって来ているのが悲しいなぁ。


懐かしいデジタルガジェットを今でもたくさんお持ちの安田さんですが、その中でもイチオシガジェットとそれに関するエピソードがあればお教えください。

やっぱり一番は、96年に買ったカシオQV10ですね。初めてのデジタルカメラ。現像に出さなくてもその場で撮った画像が見られるということが、これほど面白いものか、可能性が広がるものかと、びっくりしました。日記的やメモ的に写真を撮ってもいいんだ、とか。

それからデジカメにハマって、その後の2年くらいで10台以上買ったんじゃなかったかな。初めての単行本も「裏デジタルカメラの本」(97年 秀和システム)だったし、その後も「OPEN&PEACE」(99年 メディアックス)「デジハメ娘。」(03年 二見書房)とデジカメがらみの本を出しましたし、自分の仕事にも大きな影響を与えたと思います。

最初の出会いが、カメラカメラしていないQV10だったことが大きかったんでしょうね。

PDAだと、一番好きなのはザウルスのM1-E1かな。カパッとキーボードが出てくるギミックが良かったし、両手打ちもしやすかったし、iPhoneを先取りした縦型画面も新鮮でした。裏にマジックテープをつけて、システム手帳と一体化させて使ってました。

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バンドを始めた理由、きっかけは何ですか?

高校生の時、幼なじみとYMO散開コンサートの帰りにバンドをやろうという話になって、始めたのがモデルプランツです。

最初は二人でシンセとリズムボックスなどで自宅録音をしていました。この頃はどちらかというとノイズ・ミュージックのような録音の実験ばかりやっていました。

次第にメンバーが増えていき、曲らしい曲をやるようになり、半年後にバンド編成になると初めてのライブを西荻窪ワッツで行いました。楽器が出来ないので、なし崩し的にボーカルをやることになりました(最初の頃はサックスとかギターとかキーボードも弾いていたのですが、ヘタだったので止めました)。

そのうちにメンバーも入れ替わり、オリジナルメンバーは僕だけになりましたが、結局モデルプランツは2009年で解散するまで25年も活動していました。

まぁ、パンクとかニューウェーブを聴いていれば、自分でもやりたくなるのが自然だと思います。

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1984年の最初のライブ


無人島に持って行きたい本を三冊、レコードorCDを三枚教えてください。

本は

花と蛇(全巻)団鬼六
妖星伝(全巻)半村良
まんが道(全巻)藤子不二雄A

というのはズルイかな。

レコードは

「A LONG VACATION」(大滝詠一
「Spirit of America」(ビーチボーイズ
「A Scandal In Bohemia」(ジャズ・ブッチャー)

というあたりですね。

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「オヤジになってわかったことは、オヤジと遊んでくれる若い女の子はオヤジ好きな子だけ」と以前つぶやかれてましたが、それがわかった具体的なエピソードがあったら教えてください。

僕と遊んでくれるような女の子はみんな、おっさんくさい店に連れて行くと喜んでくれるのですが、それが若い女の子の全てに共通する嗜好ではないのだなと気づいた時です。

そういう店を喜んでくれるコしか、遊んでくれないわけです。
ま、小洒落た店しか好きじゃない子とは、僕もどうしていいのかわかんないですしね。

まぁ、でも普通考えてみれば、若い男子が好きな子に、僕らがどんなに若作りしたところで勝てるわけないじゃないですか。

無理はよくないです、無理は。


ご自宅はどんなお住まいですか?

中古で購入した練馬の3LDKのマンションです。ベランダからは富士山と東京タワーが見えるのがちょっとうれしいところです。


「NO.1 IN HEAVEN」についてお聞きします。 ①作る前に企画書や構成表みたいなものは書かれたのでしょうか? ②手作業で焼いて売るのは何枚くらいが限度だと思われましたか。 ③素人が作る場合はどういうことに気をつけたらいいでしょうか。

1:
自分ひとりで全てやったので企画書は必要ありませんし、素材をどんどん集めていっぱいになったら1号完成という感じだったので構成表も作りませんでした。もちろん編集の時には構成表は作ったけど、それもメモ程度でしたね。

2:
僕は特に旧式のめちゃくちゃ遅いDVDレコーダーで焼いていたので、一日十枚くらいしか量産できませんでした。ただ、それがかっこいいのではと思ってチマチマやってました(笑)。なので数百枚レベルが限度。千枚単位になるとプレスした方がいいでしょうし。DVD-Rで量産するならデュプリケーターとか買った方がいいですね。

3:
通販だけじゃ意外に売れないです。イベントで手売りとか、ショップにおいてもらうとかの方が動きますね。まぁ、僕の場合は、通販で買うのは面倒臭いようなシステムにしちゃったから、クレジットカード購入できるようにするとかちゃんと考えれば別かもしれません。

でも、在庫を持たなくていいのが手焼きDVD-Rのいいところですよね。制作費をあまりかけなければ、売れなくてもダメージは少ない。


どういう時に怒りますか? また苦手なタイプはどんなタイプの人?

あんまり怒らないですかね。よっぽど理不尽な目に合わない限り。

苦手なタイプは、偉そうな人、人を見下す人、自意識過剰な人、くらいです。
あと、趣味が「人間観察です」という人は、苦手かも。
お前が観察されてろ!って思います。

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