ダリブロ 安田理央Blog

フリーライター安田理央のBlogです。

続おやじびでお 第14話 官能小説こそエロの王道

 動画じゃなくっちゃ抜けない! だからDVDが付いてないエロ本じゃダメ! というのが最近のズリネタの常識なのでしょうか。紙派には、肩身の狭い世の中です。
 でも私は動画よりも静止画派。AVで抜くことよりも、写真や漫画、そして小説で抜くことの方が多いのです。

 特に好きなのがSM小説。私がオナニーざかりの中学高校時代にあたる80年代前半は、SM雑誌の全盛期。「SMセレクト」*1や「SMスナイパー」*2をはじめとして二十誌以上のSM雑誌が刊行されていたのです。
f:id:rioysd:20150203192045j:plain
SMセレクト創刊号
f:id:rioysd:20150203192101j:plain
SMスナイパー創刊号


 さらに85年には、あのフランス書院文庫が誕生します。当初はその名前の通りに海外の翻訳ポルノ小説を出していたフランス書院文庫ですが、次第に国内作家の作品にシフト。しかも蘭光生*3などのそれまでSM誌に書いていた作家をメインにしていきました。
 このフランス書院文庫が毎月数十万部を売り上げるという大ヒットになり、マドンナメイト文庫、グリーンドア文庫なども参入し、官能小説は黄金時代を迎えることになります。
 そして前述のように、これらの小説の大半がSMや凌辱色の強いもの。ちょうどこの頃、団鬼六*4の代表作「花と蛇」が角川文庫に収録されるなど、SM小説にスポットライトが当たる時代でもありました。
 もともと永井豪のエッチ漫画でSMっぽいテイストが刷り込まれていた私は、フランス書院文庫にどっぷりハマってしまったのでした。
f:id:rioysd:20150203192903j:plain
フランス書院文庫「肉牢」蘭光生

*1:70年創刊のSM専門誌。以降のSM誌のスタイルを決定づけ、全盛期は15万部も発行されたが90年に休刊。発行元の東京三世社も昨年に自主廃業した。

*2:79年にミリオン出版(のちワイレア出版)から創刊されたSM専門誌。それまでのSM誌のイメージから脱却したモダンなビジュアルと強いサブカル色で一世を風靡した。09年休刊。

*3:80年代の官能小説をリードした凌辱の巨匠。SF作家・式貴士は同一人物。91年没。

*4:60年代に大長編「花と蛇」で日本のSM小説の基礎を築いた巨匠。映画化も多い。2011年没。

続きを読む

続おやじびでお 第13話 テレビでオッパイが見られた時代

 ネットには無修正が溢れていて、誰でも簡単にモロなエロが楽しめてしまう時代ではありますが、その一方でテレビ番組のエロ規制はずいぶん厳しくなってますね。地上波では、もうほとんどオッパイを見ることは出来なくなっています。

 私が子供の頃の70年代というのは、テレビにはもっとオッパイが溢れていました。ゴールデンタイムでも平気でオッパイが出てきたものです。大人気ドラマだった「時間ですよ」*1なんて、銭湯が舞台だからということで、女湯のヌードシーンがガンガン出てましたし、土曜の昼にやっていた「独占!女の60分*2でもエロネタが多かったですねぇ。土曜は半日で学校が終わるので、速攻で帰って見たものです。

 また深夜番組のパイオニア「11PM」*3もエロネタの宝庫でした。新聞のテレビ欄で「エロそうなサブタイトルだったりすると、もう見たくて見たくてしょうがありませんでした。早く親が寝たりすると、こっそり起きてイヤホンで聞いたりして。でも、おかげで親が起きてくる音が聞こえなかったりして。いや、それよりも何よりも、テレビ欄に書いてあるタイトルが全然内容と違ってることが多かったんですよ。「女子大生、夜のお勉強」とか書いてあってドキドキしながら見たら、本当に勉強してるだけだったとか……。
f:id:rioysd:20150131160713j:plain
11PM」三流劇画特集(1978年)

*1:名演出家・久世光彦が手がけたコメディドラマ。第一作は1970年にスタート。以後、1989年まで6シリーズに渡って放送された。主演は森光子。堺正章樹木希林天地真理浅田美代子とんねるず工藤静香藤井郁弥中居正広なども出演した。

*2:1975年~1992年放送。ターキーこと水の江滝子、キャッシー中島、清水由貴子など出演者は女ばかりなのに、しっかりエロネタを扱ってくれた。

*3:1965年~1990年放送。大橋巨泉愛川欽也藤本義一などの司会による基本的にはカルチャー番組だが、火曜、木曜はエロネタが多く要チェック。いそのえいたろうの風俗レポートや、うさぎちゃんの秘湯の旅が人気だった。

続きを読む

続おやじびでお 第12話 アダルトアニメとAVの関係

くりいむレモン」とつぶやくだけで、甘酸っぱい気持ちになる40代も多いことと思います。今では珍しいことではありませんが、アニメの美少女キャラがエロい姿を見せてくれるなんて、あの当時はありえない衝撃でしたよね。

 日本のアダルトアニメの歴史というのは、意外に古いのです。その第一作と言われているのは、なんと1932年(昭和七年)に制作された「すヾみ舟」*1です。木村白山という画家が、、35ミリのモノクロフィルムに一コマずつ撮影して、たった一人で制作したというもの。3年もかけて作ったのに、完成と同時に摘発されてしまったとか。なにしろ時代が時代ですからね。
 その後、手塚治虫による「千夜一夜物語*2などセックス描写のある大人向けアニメが作られたりもしましたが、本格的なアダルトアニメとなると、1984年の「雪の紅化粧 少女薔薇刑」(ワンダーキッズ)*3が最初ということになるでしょう。人気エロ劇画家・中島史雄原作によるこの作品は、やはり劇画タッチで、ロリータアニメとうたわれていたものの、当時のオタクの求めていた物とは、ちょっと違いました。
f:id:rioysd:20150129190202j:plain
雪の紅化粧 少女薔薇刑


 このアダルトアニメ黎明期*4は、かなり試行錯誤がなされていて、タレントの似顔絵(?)アニメ「女子大生・聖子ちゃん」「オフィスレディー明菜ちゃん」や、アダルト人形劇「三蔵法師」「羅生門」なんて怪作も続々と作られていました。
 当時は夜中にビデオソフトを紹介する番組があって、この辺の作品もちょこちょこテレビで放映されていたんですよね。ええ、もちろん熱心に見てましたよ、僕は!
f:id:rioysd:20150129190255j:plain
サティスファクション

f:id:rioysd:20150129190329j:plain
オフィスレディー明菜ちゃん

*1:摘発により原盤は押収されたが、密かに流出したらしい。当時来日したウォルト・ディズニーが密かにこれを見て絶賛したという伝説もある。

*2:手塚治虫の制作総指揮で作られた劇場用アニメ。声優として青島幸男岸田今日子大橋巨泉立川談志などが参加。その後、手塚治虫は「クレオパトラ」「哀しみのベラドンナ」と立て続けに成人向けアニメを作った。

*3:短編2話を収録、アングラ色が強く強引な展開で一部でカルト扱いされている。制作のワンダーキッズは当時スネークマンショーのビデオなども制作していた。

*4:この頃「ドリームハンター麗夢」「サティスファクション」(原作・あがた有為)「青い体験」(原作・羽中ルイ)などのアニメを作っていたオレンジビデオハウスは、V&Rプランニング以前に安達かおるやカンパニー松尾が務めていたテレキャスジャパンの小会社だった。

続きを読む

続おやじびでお 第11話 AVの歴史は代々木忠の歴史

 村西とおるカンパニー松尾など有名なAV監督は何人もいますが、一般の人が名前を知った初めてのAV監督といったら、ヨヨチューこと代々木忠になるのではないでしょうか? 
 60年代に成人映画から*1そのキャリアをスタートさせた代々木監督は、81年に愛染恭子*2主演の「淫欲のうずき」からアダルトビデオの世界へ進出します。最初は成人映画の延長とも言えるドラマ物を撮っていた代々木監督ですが、82年に「ドキュメント ザ・オナニー」*3という画期的な作品で大ブレイクします。
f:id:rioysd:20150128110436j:plain
 女性がカメラの前で、本気でオナニーをしているのを撮影するという、今では「それのどこが新しいの?」と思うような内容なのですが、それまでの成人映画やAVが、あくまでも女優がエッチな演技をしているという前提だったのに、「ザ・オナニー」には女性が本当に感じている姿が記録されていたのです。
 実はドラマ仕立ての本番物を撮影する予定が、その場になって女優が本番を嫌がったために、急遽オナニーに路線変更したという、偶然の産物によるものだったそうですが。
 しかし、そこに収録された「本物」の生々しさは、世の男性たちに大きな衝撃を与え、「ザ・オナニー」シリーズは空前の大ヒットを記録しました。
 またこの作品を再編集して成人映画館で上映するなんてことも行われていました。この時期のAVは成人映画をビデオ化した物が多かったのですが、「ザ・オナニー」は、その逆を行ったのですね。これも画期的なことだったと思います。以降、AVに押された成人映画は、このようにAVを映画化したり、AVのようにビデオで生撮りしたりと、どんどんAVに近づいて行くことになります。
 僕も当時、劇場版「ザ・オナニー」を映画館で見ています。高校生の頃でしたが(笑)、夜遊びしていて終電を逃してしまい、オールナイトのポルノ映画館で夜を明かしたのですね。今ならネットカフェが定番でしょうが、その頃は映画館のオールナイトという人が多かったんです。もちろん、こんなの上映されてたら、おとなしく眠ってなんかいられませんですけどね。悶える女性の生々しすぎる喘ぎ声が強く印象に残りました。

*1:代々木監督は72年にプロデュースした「女子高生芸者」(日活ロマンポルノ)がワイセツにあたるとして9年間に渡る裁判に巻き込まれる。80年に出た判決は無罪だった。

*2:75年から成人映画で活躍。81年に武智鉄二監督の「白日夢」の主演に抜擢されたことから、一躍セックスシンボル的存在に。その後もストリップなどで活躍するが、2010年にヌードの仕事から引退した。この時、御年52歳。

*3:「主婦・斉藤京子の場合」「女子高生・西川小百合の場合」「女優・田口ゆかりの場合」など全7作が日本ビデオ映像から発売。

続きを読む

続おやじびでお 第10話 AVの黒歴史ブラックパック

 私がAVを見始めた1984年頃、レンタルビデオ店は今よりも、もっといかがわしいムードに包まれていました。一般向けビデオのコーナーでさえ、どこか怪しい感じがしてました。ましてや、AVコーナーなんていったら……。
 そう、黎明期のAVって、非常にマニアックだったのですよ。今よりもSMがメジャー*1で、全体の三分の一くらいがSM物だったような印象があります。何しろ、あの宇宙企画やVIP*2といった、後にメジャーな美少女AVで有名になるメーカーですら初期にはSM物を撮っていたくらいですからね。

 そうしたAVコーナーの中でも、ひときわ怪しい一角がありました。その棚に並ぶパッケージは黒一色。そして「変態」「SM」「アナル」「地獄」なんて言葉が並んだタイトルが、おどろおどろしい文字で書かれているのです。
 これがブラックパックと呼ばれるAVです。黒い紙箱のパッケージが多かったことから、その名称がついたようです。後で言うところのインディーズビデオ、マニアビデオのようなもので、メーカーの連絡先すらも明らかではないという怪しげな無審査ビデオ*3。そのパッケージからは、明らかにヤバイ匂いが漂っていました。
f:id:rioysd:20140806121347j:plain

*1:70年代半ばから80年代半ばは、SMがブームで、SM雑誌も10誌以上が刊行され、最も売れた「SMセレクト」などは黄金期には15万部を記録したという。

*2:他にも芳友舎やにっかつ、KUKIなどもSM物を手がけていた。

*3:ビデ倫の審査を受けていないAV。当時はビデ倫審査済みでないビデオは、いかがわしい物という意識があった。

続きを読む

続おやじびでお 第9話 平成風俗の栄華と衰退の巻

 90年代の約10年間に「平成風俗ブーム」がありました。それまでのソープ、ファッションヘルス、ピンサロとは違った新しい風俗。具体的にはイメージクラブや性感マッサージ(美療系)、性感ヘルス*1といった業種の店が爆発的に増えたんですね。

 そのきっかけとなったのが1991年にオープンした池袋「R」*2という店でした。言葉責めや前立腺マッサージなどSMクラブから派生したサービスを売りにしていて、女の子は脱がないし、触らせない。でも、従来の風俗とは比べ物にならないような快感を味わせてくれると大評判になりました。
 同店のエースが南智子さんという人で、彼女は代々木忠監督の「性感Xテクニック」シリーズ*3に出演し、その凄まじいテクニックを披露したんですね。彼女の手にかかると、男優が女の子のようにヒィヒィ言わされてしまうのです。彼女をはじめとする性感マッサージ嬢たちのプレイが、その後AV業界を席巻する「痴女」像に大きな影響を与えるわけですね。
f:id:rioysd:20140321171330j:plain
 そんな過激で先鋭的なプレイの「R」ですが、やがて姉妹店として「S」という店を出します。こちらはグッと普通の風俗に近いサービスなのですが、女の子が若くて可愛くて、それでいて、生フェラにアナル舐め、素股といったハードなプレイを格安料金で楽しませてくれるとあって大人気に。「S」のある雑居ビルの階段には行列が出来ていました。

*1:性感とはついているものの、サービス的にはファッションヘルスとあまり変わらない。当時は風営法の許可をとっているのがファッションヘルス、無許可店が性感ヘルスという区分だった。

*2:この「R」のグループが次々と店を出し、平成風俗ブームを牽引したが、1995年に国税局の調査が入ったことから崩壊してしまう。当時グループの年商は20億円以上だったとか。

*3:アテナ映像。10作以上撮られた人気シリーズ。南智子は、のちに作家となり漫画原作なども手がけた。

続きを読む

続おやじびでお 第8話 AV雑誌ノスタルジアの巻

f:id:rioysd:20140312200401j:plain
 先日、「ベストビデオ」*1が休刊しました。1986年創刊で、25年の歴史でした。創刊号のグラビアは沙羅樹*2ですか。うーん、時代だなぁ。

 ここ数年で「オレンジ通信」*3「ビデオメイトDX」*4と老舗がバタバタと倒れ、これでレンタル時代からのAV雑誌で、現存しているのは「ビデオ・ザ・ワールド」*5だけになってしまいましたね。雑誌業界が厳しいと言われるようになって久しいわけですが、なんとも寂しいものです。特にAV雑誌黄金時代を知る者にとっては……。

 というわけで、今回はAV雑誌の思い出について書いてみましょう。いわゆるAV誌と言われている雑誌の中で、最も古いのは1981年末創刊の「オレンジ通信」でしょう。その後「アップル通信」*6さくらんぼ通信」「バナナ通信」など、フルーツ+通信のタイトルをつけた類似誌をたくさん生むほどの人気を博しました。
f:id:rioysd:20140312200355j:plain
f:id:rioysd:20140312200315j:plain
 しかし、創刊当初の「オレンジ通信」は、実はAV雑誌ではなかったんですね。AVはむしろ脇役で、ビニ本裏本、そして裏ビデオの紹介の方がメインでした。そう、80年代の半ばくらいまでは、裏ビデオの方が勢いがあって、一般のAVは「表ビデオ」なんて言い方をされていたほどなんです。これは当時の「通信」系雑誌全てに共通していました。

*1:三和出版発行。女の子にスポットをあてたオーソドックスな作りで安定した人気があった。創刊時は「ベストマガジン」モロパクリな表紙だった。現場取材中心の別冊「スーパードキュメント」は継続している。

*2:1986年にデビューしたAV女優。村西とおる軍団の一員として活躍。2006年に復活した。

*3:東京三世社発行。27年という長寿を誇ったAV雑誌の代表格。後期は裏モノ情報がメインになっていった。ちなみに創刊前に同名の少女漫画があるが、誌名はそこから取られた?

*4:コアマガジン発行。いち早くインディーズ路線を開拓。思い入れたっぷりの読み応えのある記事が多く、業界からの支持も厚かった。

*5:コアマガジン発行。AVを作品として評価するというオンリーワンの道を歩む。裏モノガイド誌としても定評がある。今でもDVDをつけないという硬派な姿勢もステキ。

*6:三和出版発行。オレ通と並ぶ老舗誌だった。「女体解剖実験室」という人気企画が大変エロくて実用度も高かった。

続きを読む
Amazon 【最大70%OFF】ミュージックセール