ダリブロ 安田理央Blog

フリーライター安田理央のBlogです。

続おやじびでお 第4話 とにかく毛がみたいんだ!の巻

 日本のエロメディア界において最も重要な年となると、やはり1991年になるのではないでしょうか?
 湾岸戦争が勃発し、ソビエト連邦が崩壊し、バブル経済がはじけたこの年、日本でも大きな事件がおきました。
 ヘアヌード解禁です。20年前までの日本では陰毛を見せることは禁止されていたのですね。わいせつ=陰毛と、根拠はわからないけれど、ある意味明確な線引きがされていたのです。
 だからこの時期までのヌードグラビアというのは、いかにして股間=陰毛を隠すかという不自然なポーズが多かったんですね。そういう中から麻田奈美*1のリンゴヌードという傑作が生まれたりもしました。そして、毛が写るのがまずいなら、剃っちゃえ、なんてモデルをパイパンにしてしまったヌードも多かったですね。
 しかし、当時のエロ本業界をルポした南伸坊先生の名著「さる業界の人々」*2によれば、剃ったら剃ったで「毛があるべきところにないのはおかしい」と警視庁から怒られたという記述があったりもします。
 まぁ、いずれにせよ、隠されると見たくなるのが人間というもので、当時はとにかく毛が重要、毛が見たい! というのがエロい人の望みだったんですね。具なんて、とうてい叶わないから、せめて毛を見たい! というわけです。
 とはいえ、80年代でも「写真時代」あたりの雑誌はお上に怒られるの覚悟で、チラチラと毛を見せてくれてましたし、「ブルータス」*3などの一般誌が芸術の名目で陰毛の写っているヌードを掲載することもありました。
 そんな状況が一気に変わったのが91年に篠山紀信が撮影した樋口可南子の写真集「ウォーターフルーツ」です。陰毛がしっかり写っている写真が何枚もあったにも関わらず、警視庁は摘発しなかったんですね。続く宮沢りえの「サンタ・フェ」もおとがめなし。これが事実上のヘア解禁ということになったわけです。
 さぁ、そうなると業界は雪崩を打ったようにヘアヌード写真集を連発し、空前のヘアヌードブームが起きたのでありました。この後の5年間でなんと6百冊以上のヘアヌード写真集が発売されたというから正に狂乱。
 面白いのは、最初は「芸術」*4の名目で許可が降りたと見られたため、ヘアヌードを掲載できるのは一般誌のみ、という風潮がありました。だから、ヘアヌードは芸能人のみ、AV女優や風俗嬢は毛は出しちゃダメ。また一般誌はOKだけど、エロ本じゃ毛はダメという、ねじれ現象が起きていたのであります。コンビニで売っていて、誰でも買える週刊誌にはヘアヌードが載っているのに、成人向けのエロ雑誌ではヘアは厳禁。変な状況でした。
 その影響なのか、この時期のエロ雑誌はスカトロ系の「お尻倶楽部」とか過激投稿の「ニャン2倶楽部」、ブルセラの「クリーム」、ぶっかけの「マスカットノート」といったフェチ色が強くやや屈折した専門誌の元気がよかったようです。そういえば、日本初のアダルトゲーム専門誌「パソコンパラダイス」もこの時期に創刊してますね。
 今は今月号の特集でも書いているようにパイパン好きな私ですが、この当時はやっぱり貴重だったせいもあって、ヘアヌードに夢中になっており、雑誌のヘアヌードグラビアなどを切り抜いてスクラップしておりました。好みのモデルじゃなくても、ヘアが映ってると勿体無いからと捨てられなくて。今、そのスクラップブックを見ると、なんでこんな写真を? と思うようなページばかりです。あの頃、ヘアヌードになるのは盛りをすぎた熟女女優ばかりだったしねぇ…。
 さて、この後、次第にエロ本でもなし崩しにヘアが事実上解禁されていったわけですが、AVの方では依然厳禁でありました。ビデ倫が断固として許可しなかったんですね。この方針は、なんと2006年まで続いたのですから、その頑なさはむしろ賞賛すべき?
 日本で最初のヘアヌードビデオが登場したのは94年。豊田薫監督による河合メリージェーンの「メリージェーン」*5です。本作以前にもヌードで温泉を紹介するビデオなどで、ヘアが写っているものもあったりして、ビデ倫審査を受けていないセルAVでは少しずつヘア解禁が進んでいました。
 そしてその翌年にやってきたインディーズAV(セルAV)ブームでは、ヘア無修正の作品がどんどんリリースされました。空前のヒットとなったソフト・オン・デマンドの「全裸シリーズ」なども、その企画の奇抜さ以上に「動くヘア」がたくさん見られるという驚きが受けたのだと思われます。
 簡単に無修正が入手できてしまう現在からすれば、陰毛で大騒ぎしていた20年前というのはなんとも奇妙ですね。物心ついた頃からヘアヌードがあった若者からしてみれば、信じられないでしょう。
 今、この原稿を書くために当時のヘアヌード写真集やグラビア誌*6を色々見ていたんですが、なんというか写真にパワーがあります。バブルは崩壊しても、まだまだ景気のよかった時代ならではのパワーですね。何しろ「サンタ・フェ」155万部は別格としても、B級タレントでも10万部は売れたというし、ヘアヌードグラビア合戦をしていた頃の週刊ポストと週刊現代は最大150万部という売上を記録しています(ちなみに現在は両誌とも50万部以下)。ヌードグラビアが一番パワーがあった時代だと言えるでしょう。それが写真からも伝わってくるんですよね。
 最近では、元バレリーナの草刈民代がヌード写真集の新聞広告を出して話題になりましたが、さてどれくらい盛り上がったのでしょうか…。

TENGU(ジーオーティー)2010年7月号掲載。最近は古本で「ザ・テンメイ」を集めております。ホント、ラジカルで面白い雑誌です。あの時代の躁状態をよく現してます。

*1:70年代に活躍したヌードモデル。18歳の時に撮影された股間をリンゴで隠した写真は日本ヌード史に残る傑作。あどけない顔立ちと美巨乳は今見ても、全く色褪せない魅力がある。

*2:81年情報センター刊。エロ本業界の奇妙な実態を独特の文体で描いた南伸坊の書下ろし処女作。超名著!

*3:85年に「裸の絶対温度」のタイトルで荒木経惟浅井愼平加納典明らのヌード写真を特集。芸術の名のもとでヘアを掲載。警視庁から警告を受けたが摘発はされなかった。

*4:その理由から当初はカラミのあるヘアヌードはNGとされていた。94年には「ベッピン」「スコラ」が、ヘアを手や口で触っているという理由で摘発されている。

*5:スペイン人とのハーフで当時そこそこ人気のあった河合メリージェーンを鬼才豊田薫が撮影した。ただしAVではなくイメージビデオだった。発売はV&Rプランニングの関連会社であるケイ・ネットワーク。

*6:「BIG4」「NAWON」などヘアヌード中心でグラビアオンリーの雑誌が何冊も創刊された。その代表が「ザ・テンメイ」で、過激に走り過ぎて95年に摘発される。ユニークすぎるキャッチコピーのセンスなど再評価に値する。

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