ダリブロ 安田理央Blog

フリーライター安田理央のBlogです。

続おやじびでお 第15話 SMがAVの主流だった時代

 前回はSMモノを中心とした官能小説について書いたので、今回はSMのAVで行ってみましょうか。
 日本最初のSMモノだと思われる作品は82年の1月にVIPエンタープライズ(後のVIP)が発売した「48時間の裸体」「死虐の宴」です。この2作品はVIPの第一回発売作品でもあります。ブラックパックの回でも少し書きましたが、AVの黎明期ではSMは主要ジャンルであり、このVIPや宇宙企画、SAMM(現hmp)といった後に美少女AVで有名になるメーカーも、設立当初はみんなSMモノを手かげていたのです。まぁ、VIPの前身はスカトロビニ本で名を馳せた群雄社、SAMMの前身は六本木のSMクラブだったので、当然と言えば当然の流れではあるのですが。

 黎明期にSMモノが多かった理由として、SMならセックスシーンが無くても成立するというメリットもあったのです。当時のAVでは修正をするのも大変だったためアングルで隠すという映画的な手法が主流でした。セックスしてるのに下半身を全く映さないなんて作品もあったほどです。
 その点、SMでは雑誌グラビアなどのノウハウがあり、縄や剃毛用のシェービングクリームなどで股間を隠すという手法が使えますし、本番シーンが無くても成り立つので、男の性器も登場させなくて済むわけです。

 この82年にはSMの名門メーカー、アートビデオも第一作となる「地下室の淫魔」を発売しています。社長であり看板監督でもある峰一也*1は、当時はSM写真のカメラマンで、家庭用に買ったビデオカメラ一台で撮影したといいます。この頃は、編集も出来ないため、頭から順に撮っていったそうです。失敗は許されない、まさに一発勝負の撮影です。
 こうして制作された初期の作品は通販のみで販売。SM雑誌に広告を載せただけなのに、毎日たくさんの現金書留が届いたというから、今から考えるとなんとも羨ましい時代です。だって当時は一本1万5千円もしたんですよ。
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初期のアートビデオ作品「こずえのマゾレポート」

*1:90年以降は女性をひたすらイカせるという路線に。通称ミスター・ミネック。

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