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ダリブロ 安田理央Blog

フリーライター安田理央のBlogです。

続おやじびでお 第9話 平成風俗の栄華と衰退の巻

原稿アーカイブ AV エロ 風俗

 90年代の約10年間に「平成風俗ブーム」がありました。それまでのソープ、ファッションヘルス、ピンサロとは違った新しい風俗。具体的にはイメージクラブや性感マッサージ(美療系)、性感ヘルス*1といった業種の店が爆発的に増えたんですね。

 そのきっかけとなったのが1991年にオープンした池袋「R」*2という店でした。言葉責めや前立腺マッサージなどSMクラブから派生したサービスを売りにしていて、女の子は脱がないし、触らせない。でも、従来の風俗とは比べ物にならないような快感を味わせてくれると大評判になりました。
 同店のエースが南智子さんという人で、彼女は代々木忠監督の「性感Xテクニック」シリーズ*3に出演し、その凄まじいテクニックを披露したんですね。彼女の手にかかると、男優が女の子のようにヒィヒィ言わされてしまうのです。彼女をはじめとする性感マッサージ嬢たちのプレイが、その後AV業界を席巻する「痴女」像に大きな影響を与えるわけですね。
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 そんな過激で先鋭的なプレイの「R」ですが、やがて姉妹店として「S」という店を出します。こちらはグッと普通の風俗に近いサービスなのですが、女の子が若くて可愛くて、それでいて、生フェラにアナル舐め、素股といったハードなプレイを格安料金で楽しませてくれるとあって大人気に。「S」のある雑居ビルの階段には行列が出来ていました。


 同時に、やはりSMクラブから派生したイメージクラブも盛り上がりはじめていました。これは教室やオフィスなどのセットが組まれたプレイルームでコスプレを楽しむという風俗。電車だの公園だの、色々な凝ったプレイルームが作られました。

 こうして90年代半ばには空前の風俗ブームが巻き起こったのです。働く女の子のレベルも驚くほどあがり、風俗アイドル=フードルなんて言葉も生まれました。風俗誌のグラビアを飾っていた彼女たちは、やがて一般エロ雑誌、そして一般誌にまで進出。

 この時期はAVアイドルがいまひとつ元気がなかった時代ということもあって、フードルの方がグラビアに登場する回数が多かったりしてたんですよ、信じられないことに。
 もともとAVアイドルって風俗でスカウトされた子も多かったんですが、デビューに際してはその過去を隠すことが一般的でした。でも、この頃は「ナンバーワン風俗嬢がAVデビュー!」みたいな売り出し方をすることもありました。
 その代表的存在が可愛手翔*4。1994年に高田馬場「W」に入店するや、たちまち超人気風俗嬢となり、やがてAVデビュー。「風俗の方がAVより下って思われるのがイヤ」なってことを言ってましたねー。しかし確かに彼女は、その辺のAVアイドルよりも可愛かったですよ。

 そんな風俗ブームに合わせるように、AVでもたくさんの風俗モノが作られました。その代表的な作品がゴールドマン監督の「THE フーゾク」シリーズ*5です。
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イメクラ、性感ヘルスからソープまで、様々な風俗のプレイをリアルに撮影して大ヒット。いや、実は僕もこのシリーズには男優としてずいぶん参加しているのでした(笑)。
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 僕はこの頃、AVよりも風俗の取材がメインで、風俗ライターを名乗ってましたね。その関係で「風俗無法地帯」「巨乳風俗ギャルプライベートSEX」「月刊日本全国オススメ風俗MAP」なんて風俗AVを監督したりもしてました。
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 他に風俗AVとしては、ラッシャーみよしさんが監督した「これがPinサロ」シリーズや「全国特殊浴場秘技公開」シリーズなどが印象深いですね。前者はピンサロマニアとして知られるみよしさんならではのこだわりの視線が素晴らしかったし、後者は全国各地のソープランドに伝わるテクニックを紹介した作品で、かなり上級のソープマニア向け。そのストイックな姿勢がなんともカッコよかったですね。

 風俗からスカウトされてAVデビューする子が多いと書きましたが、この頃になるとAVの子が働いている風俗なんてのも、ずいぶん増えました。なかにはモデルプロダクションが経営してる店なんかもあったりして、いわばAVと風俗の蜜月時代でした。

 しかし、1998年に風営法*6が改正されると、風俗の主流はデリヘルに移行しはじめ、従来の平成風俗店の摘発が目立つようになります。平成風俗店のほとんどが風営法の届出を出していないモグリの店だったからなんですが、それまでは多めに見てもらってたんですね。まぁ、その辺の事情は色々あるんですが(笑)。それが突然、厳しくなっちゃった。
 2002年のワールドカップ開催にあたって繁華街を浄化するためとも言われましたが、新宿、池袋、渋谷といったそれまでの風俗街でどんどん摘発が進みました。そして2004年から2005年にかけて、全国的に大規模な一斉摘発が行われ、平成風俗店は、ほとんど姿を消すことになりました。その客がソープやデリヘルなどに流れることもなく、風俗ブームは終結してしまいました。同時に風俗AVも消えていきました。

 風俗ライター時代には、週に何軒も体験取材をして、なおかつ自腹でも遊んで、というように風俗に通いまくっていた僕ですが、憑き物が落ちたかのように、今はもうほとんどお店に足を運ぶことはありません。

 なんだったんでしょうね、あの頃の狂騒感は。単に女の子にサービス受けて気持ちイイというだけではない魅力が、当時の風俗シーンにはあったのです。だから僕らは通ったのです。それがブームというものなのでしょう。

TENGU(ジーオーティー)2010年12月号掲載。あの平成風俗ブームについては、いつかちゃんとまとめてみたいなぁと思っております。

*1:性感とはついているものの、サービス的にはファッションヘルスとあまり変わらない。当時は風営法の許可をとっているのがファッションヘルス、無許可店が性感ヘルスという区分だった。

*2:この「R」のグループが次々と店を出し、平成風俗ブームを牽引したが、1995年に国税局の調査が入ったことから崩壊してしまう。当時グループの年商は20億円以上だったとか。

*3:アテナ映像。10作以上撮られた人気シリーズ。南智子は、のちに作家となり漫画原作なども手がけた。

*4:1996年に『風俗アイドルNo.1』(アトラス)でAVデビュー。テリー伊藤企画の「飛び出せ! 全裸学園」にも主演した。

*5:クリスタル映像。 この撮影で性感嬢の言葉責めを知ったゴールドマン監督がインスパイアされて「私は痴女」を撮り、それが後の痴女像となったのではという説。

*6:イメクラや性感などは無許可営業のために摘発されたのだが、現在の風営法では、デリヘル以外の風俗店を新規に許可をもらうことは現実的に不可能となっている。そのため、初期の平成風俗はマンションの一室で看板なども出さずに三行広告だけを頼りにひっそりと営業し、「同好の士の集まり」という名目にしていた。

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