吉野は自然にサキの手を握ってきた。
最後の客が帰ったのが12時を少し回ったぐらいだった。酔っ払いって最悪、と個室の片付けをしながらサキは吐き出すように呟いた。酒臭いし、アルコールで神経が麻痺しているせいか、なかなかイカないし。時間ギリギリまでサキはその客にフェラし続けたのに、結局イカせることはできなかった。客は、サキのテクニックが未熟だとなじった。あんたが酔っ払ってるのが悪いんでしょ、と言いたかったけど我慢した。サキも、もうこの仕事を始めて半年になる。こんなこと、よくあることだ。いちいち気にしてても仕方がない。
それよりも、今日はこれからちょっとしたトキメキがある。サキはバックの中から携帯電話を取り出した。新着メールがあった。急いでチェックする。
「お店終わったら、メールちょーだい。オレ、漫画喫茶で待機してるから」
サキは急いで携帯電話のキーをポチポチと押して返事をメールした。
「今終わったよ! どこに行けばいいの?」
そして帰り支度をする。私服に着替え、店長から本日分の給料をもらう。5時からで6人ついて4万円ちょっと。今日は、まぁまぁというところだ。金曜の夜にしては、ちょっと渋い方かもしれないけど。
その6人の客のうちのひとりが、さっきのメールの送り主だ。吉野と名乗った男。22歳、サキと同じ歳。もっともサキは店では20歳ということになっているけれども。
吉野からメールの返事が来た。
「Pパルコのとこの地下道の入り口あたりで待ってるよ」
店のある雑居ビルからサンシャイン通りに出る。もう12時を過ぎているというのに、たくさんの男の子、女の子がウロウロしている。制服姿のままの女の子も多い。さすがは金曜の夜。ねっとりした湿気が、Tシャツから突き出したサキの白い腕にまとわりついてくる。歩くだけでうっすらと汗が浮かぶ。
パルコとPダッシュパルコの間に、線路をくぐる地下道があり、そこではよく弾き語りの男の子たちが歌っていた。真夜中のこんな時間でも2組が演奏中。彼らの前には、数人の女の子が膝を抱えて座り込んでいる。トンネルの中ということもありエコーのかかった2つの歌声はグチャグチャに絡み合い、ただの騒音みたいだった。その入り口のあたりに吉野はいた。それほど遊んでいない大学生といった風情。さっきの話だと一応サラリーマンらしいが。
「おまたせ。片付けで時間かかっちゃって」
「こっちも今来たところだから」
吉野はにっこりと無防備な笑顔を見せた。ああ、この笑顔がなんだか懐かしくて、彼に惹かれてしまったのだ。サキはこの笑顔がなぜ懐かしいのか必死に思い出そうとしたのだが、ダメだった。もともと物覚えはいい方じゃない。ま、どうせたいしたことじゃない。
「ねぇ、ちょっと飲みたいな。お腹空いちゃったし」
「OK。じゃあ西口の方に行こうか」
吉野は自然にサキの手を握ってきた。ギュッとサキも手を握り返した。なんだかドキドキした。つい数時間前には、全裸になって彼のペニスをほお張っていたのに。
ワンワンと弾き語りの歌声とギターが反響するトンネルを抜けて、駅の反対側へ。駅前のタクシーの群れを横目で見ながら、飲み屋が密集しているロマンス通りに入る。黒服とキャバクラ嬢がチラシ片手に客引きをしている。よくあんなことできるな、とサキは思う。自分には恥ずかしくてとても街頭であんなことは出来ない。自分にとっては個室でフェラチオすることよりも、よっぽど恥ずかしいことだと思う。だって、誰か知り合いに見られたらたまらない。昔のクラスメートとか…。
あ、その時、サキは急に気がついた。吉野の笑顔がなぜ懐かしかったのか。あの笑顔は小学校で一緒のクラスだった木村君だ。
立教大学にほど近い洋風居酒屋で、サキと吉野はダラダラとビールを飲んでいた。吉野が、小学校中学年の時に同じクラスで、しかもひそかに好きだった男子、木村ではないかと思ったサキは、さりげなく出身地などを聞き出していった。
「あ、静岡の藤枝ってとこ。高校出てすぐこっち来ちゃったけどね」
ビンゴだった。間違いなく木村君だ。風俗店で客が偽名を使うことはよくあることだ。第一、サキの店でのプロフィールだって、まるっきち嘘っぱちなのだから。確か、サキは横浜出身ということになっているはず。
あたしも藤枝なの、という言葉が出かかったけれど、飲み込んだ。木村君でしょ、とも言いたくてウズウズしたけど我慢した。向こうはサキが小学校で一緒だった和美だとは全く気づいていないはずだ。でも何かの拍子でバレるかもしれない。地元で変な噂が広まったら、親が泣いちゃう。それだけは避けたい。
「あー、ごちそうさま。それじゃ、あたし明日早番だから、もう帰るね」
さぁ、これから北口のラブホテルにでも、と考えていたらしい吉野に、サキは白々しい笑顔でそういった。あっけにとられる吉野。
ごめんね、と心の中で呟きながら、サキはさっさと吉野に背中を向けて、駅の方へと歩き出していく。
惜しかったよね、とサキは呟く。一緒に泥んこになって遊んだ木村君が、あんなにかっこよくなってるなんて。サッカーが好きだったんだよね、二人とも。今の彼も十分にサキのタイプだった。でも仮性包茎だったっけ…。個室でのプレイのことを思い出して、サキは歩きながら一人でクスクス笑った。本当、惜しかった。絶対あたしが、あの和美だなんてわからないはずだし。それに好奇心半分とはいえ、ニューハーフヘルスに来るなんて彼もその気はあるみたいだし。サキは自分の少年時代に思いをはせながら、タクシーを捜した。
●「アクションカメラjr」2002年7月号に「アフター24時」のタイトルで書いた短編小説。篝一光氏の写真とのカップリングで掲載された。ふと読み返してみたら、なんか面白かったので再録してみました。