ダリブロ 安田理央Blog

フリーライター安田理央のBlogです。

続おやじびでお 第2話 19歳、AVが見たくてしょうがなくて…の巻

 エロ系ライターとしては、既にベテランと言われるような年になってしまいましたが、私がAVについての原稿を書くようになったのは19歳の頃。なんと今から23年も前の話であります。
 その時、私はとある編集プロダクションでアイドル雑誌の編集に携わっておりました。日本文芸社から発行されていた「BOO!」という一年しかもたなかった雑誌なんですが、人手不足ということもあって、実質3人くらいで作っておりまして、誌面の半分近くを僕が一人で書いたりしてました。今、考えると高校を出たばかりのガキに、よくそんなに任せたなぁ、と驚きますね。まぁ、雑誌の現場なんて、そんないい加減なもんでしたよ。
 時代としてはおニャン子クラブ末期で、創刊号の表紙は後藤久美子斉藤由貴がアイドル扱いされていて、佐野量子(現武豊夫人)とか杉浦幸(現パチンコタレント)なんかが登場してますね。あー、今、バックナンバーを読み返したら、登場してるアイドルがかなりの確率で、その後にヌードになってますな*1
 さて、私の担当ページの中に、AVコーナーがあったんですね。AVページを任されて、「わーい、これでタダでAVが見られる!」と、高校生の頃からAVに親しみまくっていた私は喜んだんですが、実際はAVメーカーから借りてきた写真と資料だけでページを構成するだけ。実際にサンプルビデオを見ることは出きなかったんですね。
 ちなみに創刊号のAVページで取り上げたのは桂木麻也子、沙羅樹、後藤沙貴、磯崎裕美というラインナップ。考えてみると、この原稿がその後長きに渡る私のエロライター人生の第一歩となったわけですね。
 しかし、実際にAVが見られないのはつまらない。というか、見たい。見たくてしょうがない。私は編集長に直訴しました。
「やっぱり作品をきちんと見た上で紹介をしないと、読者の共感が得られないと思うんですよ! ここは手を抜いてはいけないのではないかと!」
 すると編集長、にっこり笑って、
「そうか、そんなにAVが見たいのか、安田。じゃあ、たっぷり見せてやろうな。これ、明後日までにな」
 渡されたのは20本のAV。「2泊3日恐怖のアダルトビデオ20本勝負!」なんて5ページ企画を書くことになっちゃったのですね。ええ、もうちゃんと全部見ましたよ。当時はレンタルビデオも高かった(一本千円近かったと思う)ので、AVを一日何本も見るなんて贅沢は初めての経験でした。いや、もう実際は死にそうになりましたけどね。当時のAVは45分が標準とは言え、20本ともなれば計900分。19歳の血気盛んな若者には、頭がクラクラするような体験でありましたよ。この時、オナニーしたんだったかなー。たぶん出来なかったような気がしますよ。
 この時、見たAVで一番面白かったのは「ザ・バイブル 前原祐子」*2。あと「川副ひとみは今日も行く」*3「まりもの快感マン酔集 百瀬まりも」なんかも良かったと原稿にはありますね。
 この記事あたりから、私はエッチな原稿を書くことが楽しくなってきたんですね。もともとエロ本が好きだったというのもあって、アイドルについて書くよりもAVアイドルについて書く方がノレたんです。実はアイドルにはあんまり興味なかったし。
 そんなことを編集部に出入りしていたライターさんに話していたら、その人がエロ雑誌を紹介してくれたんですね。こっそりバイトでエロ原稿を書けばいいんじゃないのと。
 そして私は見事にエロ雑誌デビューを果たしたのでした。よく覚えていないんですが、たぶん一番最初に書いた原稿は東京三世社の「台風クラブ」での風俗体験ルポ。池袋駅西口のファッションヘルス「I」*4で体験取材したのでした。恐ろしいことに、この店、まだ現存してます…。
 そして同じ東京三世社で「オレンジ通信」の別冊として創刊された「ビデオアクティブ」という雑誌がありまして、ここでAVレビューの仕事をもらいました。このビデオアクティブ、ビジュアル的にも凝っていて、なかなかカッコいい雑誌でした。
 手元にある1988年3月号を見ると表紙は中川えり子、インタビューは亜里沙*5。立原友香と冴島奈緒が連載を持ってますね。ライター陣を見ると宇田川久志さんに沢木毅彦さんに原達也さんに藤木TDCさん…。みなさん、息の長い活躍をなされてますなぁ。
 さて、このビデオアクティブは、残念ながら短命で終わってしまったのですが、これ以降、私はAVを中心としたエロライターとしての活動を密かに進めることになります。一応、他の編集部に属してましたから、ずっと会社には内緒のバイトだったんですね。
 本業の就業後や休日などに、山と積まれたAVのサンプルを見ては原稿を書くという日々がやって来たのであります。同じ年の友だちは、大学で青春を謳歌していたというのに、私はトイレ共同の超クラッシックな木造アパートで、AVを見ながらシコシコ原稿書き。こう書くと侘しいようですが、これはこれで楽しかったんですよ。
 時代は80年代末。誕生して10年を迎えようとしたAVが、今まさに新たなステップを踏み出す、そんな時期だったんですね。にっかつロマンポルノがその制作を終了し*6村西とおるがダイヤモンド映像を設立。そしてカンパニー松尾やゴールドマンといった新しい才能を持った監督たちがデビュー。
 AVシーンが動き始めている。業界を横から眺めているライターの私たちにもその熱は伝わってきました。そしてライターという仕事で、その瞬間に関われることを幸せに思いました。

TENGU(ジーオーティー)2010年5月号掲載。現在も連載中で、発売中の10月号ではアダルトCD-ROMブームについて書いてます。それにしても、僕がアダルト雑誌デビューを飾った東京三世社も、廃業を決めたようで……。僕が憧れていたエロ本業界は、いよいよ終焉の時を迎えようとしています。

*1:杉浦幸とか坂上香織とか大西結花とか真弓倫子とか少女隊とか八木さおりとか…。小沢なつきはAVにも出演。

*2:アリスジャパンのシリーズAV。エイズが蔓延した近未来を舞台にした異色の連作で「ビデオドローム」の影響が濃厚。クロマキーを使った特殊な修正が話題を呼んだ。小林ひとみ、中川えり子なども出演した。

*3:後に青木クリスの名前で90年度プレイメイトジャパンになる。Vシネマの「けっこう仮面」などに出演した。

*4:当時は珍しいマットサービスを売りにしていた。今では貴重な店舗型ヘルスとして営業中。料金は40分1万円で、たぶん当時と変わらない。

*5:豊丸登場前夜の淫乱ブーム初期を支えた女優。プライベートでカンパニー松尾の童貞を奪った女としても知られる。

*6:AVの影響で動員が低下。生撮りなどのAV的な要素を取り入れた「ロマンX」などの試みもあったが人気回復ならず、88年に制作終了となった。ちなみに80年代は、にっかつはAVでも大手メーカーであり、AVアイドルを集めて「ロマン子クラブ」として活動させたりもしていた。

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